わかりやすいヨーロッパ
ドイツにいて、日本でドイツやヨーロッパについて書かれているものを読むと、何か「よその国」、「よその地域」のことが書かれているように感じます。それは、書く側の論理と実際に起こっていることの論理が合っていないからです。書いて文字する側は、自分の持っている既成の論理に合わせて書きます。しかし、現実の論理は書き手の論理とは一致しません。それが、書いてあることと実感が噛み合ない原因かなと思います。
この問題は、ドイツでジャーナリストとして日本向けに仕事をしているとよく感じます。日本の読者や視聴者にドイツやヨーロッパについて短く、簡単にわかるように伝えるには、どうすればいいのか。その場合、どうしても日本の読者や視聴者のわかりやすい論理で伝えるようになります。むしろ、そう期待されているといっていいと思います。
現場にいると、現実はそう簡単に日本の論理では理解できません。でも、現場の論理では東京のデスクが納得しません。それではわからない、伝わらないといわれます。国外のことを報道するのに、日本の論理(枠組み)に合わせるしかありません。
ヨーロッパ大陸にいると、ヨーロッパの政治が大陸中心に行なわれていることがよくわかります。でも、日本のマスメディアのヨーロッパの中心は、ロンドンです。
それは、なぜでしょうか。
英国の政治や文化、考える論理が、米国と同じか、よく似ているからです。日本の外信ニュースの中心は、米国からのものです。日本の至る分野で、米国中心の論理や見方が広がっています。米国の論理に似た英国の見方は、日本ではおなじみです。だから、米国に近い英国のバイアスのかかったロンドンからのニュースは、日本では伝わりやすいし、わかりやすいのです。
それに対して、ヨーロッパ大陸の論理は日本ではあまり知られていません。その論理は伝わりにくいし、わかってもらえません。だからヨーロッパのことは、ロンドンから英国のバイアスのかかった論理で日本の読者や視聴者にわかりやすいように報道します。
ギリシャの財政危機やウクライナ問題では、ドイツとフランスが中心になって対応してきましまた。難民問題では、ドイツの動きを見なければなりません。それにも関わらず、日本ではヨーロッパについて英国中心に報道されます。
ドイツのメルケル首相が冬の休暇中にスキーで転べば、ニュースになります。でも、メルケル首相がEUの問題や難民問題で政治的発言をしても、日本ではニュースになりません。
今のヨーロッパ大陸、欧州連合EUの歴史的な基点は、ドイツ統一であり、冷戦の終結です。ヨーロッパでは、EUが戦後の平和と安定の重要な基盤になってきました。その現実は、ヨーロッパ大陸と陸続きでない英国では感じません。でも日本のニュースは、英国のバイアスのかかった見方でしかヨーロッパについて報道できません。
これが、日本のニュースの現実です。
ヨーロッパ大陸から報道するジャーナリストとして、この現状を何とかして変えることができないかと思ってきました。しかし、英国中心に報道するという厚い壁を打ち破ることができません。
その背景には、ヨーロッパにいても、日本社会の米国べったりの米国中心主義があるからです。
(2017年11月08日、まさお)
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