民主主義とは?

 前のブログ記事で、日本では西洋概念が日本語に翻訳されているだけで、その概念が表面的にしか理解されていないと書きました。その一つが、「民主主義」です。

 ドイツ人の友人がぼくに、日本に民主主義があるのかと聞いてきたことがあります。友人は、ドイツの大学で社会学の教授をしていました。友人にとって、民主主義は市民が勝ち取るものです。民主主義はヨーロッパにおいて、市民革命を経て登場しました。友人には、市民革命を体験していない日本に民主主義が存在するとは思えません。

 日本は、明治維新とその後に米騒動や大正デモクラシーを体験しています。これら歴史的出来事は、本当に個人の社会的、経済的な自由を目指したものだったのでしょうか。明治維新以外、それによって社会が大きく変化したとはいえません。しかし明治維新は、市民革命ではありません。

 市民が権力に対抗して自由を獲得したことのない日本に、民主主義の生まれる地盤はない。それが、ぼくの友人の考えです。友人は、ヨーロッパの歴史だけから見た民主主義を押し付けすぎていないだろうかと、ぼくは感じます。ヨーロッパ流の民主主義しか、民主主義ではないのか。でもぼくは、基本的価値が同じであれば、アジア流あるいは日本流の民主主義があっていいと思います。

 ただ日本の現状を見ると、日本が民主主義国家だと、自信を持っていうことができません。ぼくには、民主主義の基本が日本の政治家や市民に受け止められていないと思えてなりません。

 日本では、過半数が賛成するのが民主主義だと数の論理だけになっているか、少数意見のすべてが無視されずに聞き入れられることが民主主義だとしか思われていないように感じます。

 ドイツで長く暮らしてきたぼくにとって、民主主義はそうではありません。現実の問題や政策に異なる意見を持つ者が相手の意見を聞いて、お互いに納得できるように妥協しながら、それぞれの意見を政策や問題の解決策に反映させていくプロセスや活動のことだと映ります。

 そのためには、辛抱強く対話する忍耐と長い時間が必要です。そのパワーがないと、民主主義は成り立ちません。

 時間をかけて対話して議論する。それが、民主主義の基本です。意見が同じであれば、そこから学ぶことはありません。意見が違うからこそ、対話することでたくさんのことを学ぶことができます。日本の国会では現在、強行採決が横行しています。すぐに結論が出ず、対話してお互いに納得できなくても、数の力で強行に採決しない。それが、民主主義の基本です。それでは時間がかかりすぎるかもしれません。でも民主主義では、急ぐ必要はありません。時間のかかることにも、いいことがたくさんあります。

 対話しても、すべて満足できる結果が生まれる保証はありません。失望することも多いと思います。でも、民主主義には失望がつきものです。失望は、次に対話する時に生かします。それが、民主主義のプロセスです。

(2017年12月23日、まさお)

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