さよなら減思力

新しい人たち

 グローバル化する世界の動きに比べると、個人の体験はとても小さなものです。でも、その体験はとても重みのあるものだと思います。ヨーロッパに短い期間滞在して異文化と対話した飯館村の若妻たちや福島県の高校生。それぞれの個人体験は、その後の人生に大きな影響を与えます。

 これも、一つのマイクロプロセスです。小さな体験からいろいろなことを学びます。社会には、いろいろな人種が一緒に生活していること、同じことに対して違う考えを持っている人がいること、人によって生活や社会習慣が違うこと、宗教にも違いがあること、日本で伝えられていることが必ずしも正しくないこと、日本では伝えられていないことがたくさんあることなどなど。とても数えきれません。それが、既存の論理(枠組み)に拘らない柔軟な考えをもたらします。

 日本ではよく、日本を外から見ると日本のことがよく見えるようになるといわれます。ぼくはむしろ、日本の枠組みにはない異文化と対話するマイクロプロセスの積み重ねが新しい人を造っているように感じます。それが、日本のことをよく見えるようにする要因だと思います。

 ぼくの暮らすベルリンには、ワーキング・ホリデーという制度を利用して異文化で体験生活する日本の若者が増えています。観光ビザと異なり、一年間滞在できます。働いて月450ユーロ(約6万円)まで収入を得ることが認められます。日本の若者たちにとって、物価が安く、生活しやすいことがベルリンの魅力だといいます。その他にも、日本は暮らしにくいからもういやだと、ドイツに定住する目的でくる若者たちもいます。

 ぼくの知人の中には、日本で脱サラしたり、ドイツで新しく職を見つけて再出発した人が何人もいます。邦人企業の駐在員として、数年間ドイツで働いていた人たちです。3、4年後に帰国しますが、ドイツのゆとりのある生活と日本の生活の厳しさのギャップに耐えきれなくなったのが、再出発を決断するきっかけでした。

 ぼくは、人生の半分以上をドイツで暮らしてきました。でもドイツでは、選挙権がありません。ドイツ国籍を取得していないからです。ドイツでは、外国人だということです。ドイツにも、外国人はドイツに入ってくるな、出て行けと思っている人がいるのは事実です。しかしぼくは、ドイツで社会の一員として認められていると感じます。一市民として人権を認められ、尊重されています。ぼく自身も、ドイツ社会において市民の一人だと自覚が持てます。それが、ぼくにとってとても大切なことだと感じます。

ベルリン郊外にある難民収容施設のこどもたち

 ドイツでは、シリアなどから難民がたくさん流入し、その受け入れが大きな社会問題になっています。難民受け入れに反対する右派政党も台頭してきました。それにも関わらず、人道的にたくさんの人に国を開放し、ドイツに移入してきた人には国の宝としてドイツ社会に統合してもらう。それが、ドイツ社会の基本的な立場だと思います。そのほうが、移民に対して国境を閉鎖するよりも便益があると考えられています。

 知らない国と知らない文化を背景とする知らない人が社会に入り、知らない者同士が社会で接します。対話が生まれ、お互いに影響し合います。こうして、新しい人たちが生まれます。それは、知らない者を受け入れる側にも、受け入れられる側にもいえると思います。一人一人の体験が積み重なって、社会を豊かにします。これも、マイクロプロセスです。

 こうしたプロセスを通して新しい人たちが生まれ、社会で認め合って生きていきます。それが、社会を多様化して、民主的で、持続性のあるものにします。

(2018年5月04日、まさお)

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