脱原発と憲法

 脱原発について議論する場合、脱原発を求め、実現することが、憲法に添ったものである必要があります。それが、立憲主義ということであり、法治国家の基盤であるはずです。

 脱原発を主張する時、No Nukes権、健康権、環境権は憲法によって保障されていると主張されます。その通りだと思います。日本の憲法は環境権を明確な形で保障しているとは思いませんが、現在の国際的な常識からそうだと押し切っていいのかなと思います。

 その中でも、健康権は絶対に保障されなければなりません。原発の運転によって、人の健康に影響があってはなりません。

 しかし、憲法が基本権として保障しているのはそれだけではありません。

 原発に関わるものでは、存続権があります。それは、一旦認可を得てできたものは、存続権を有するということです。これが保障されないと、法治国家の基盤である法の継続性が確保されません。

 脱原発は、認可を得て稼働している原発を停止させることを意味します。原発は電力会社の資産であり、それによって利益が出ます。脱原発の結果、電力会社は資産と利益を放棄しなければならなくなります。

 そのため、国が脱原発を命令すると、それは国家権力による財産没収になりかねません。それは、原発の存続権を侵害することになります。

 その他に脱原発する手法として、国と電力会社が脱原発で合意するという手があります。その時に問題になるのが、株式法によって電力会社の経営者には株主の利益を守ることが義務つけられていることです。株主が脱原発合意によって自分の利益が失われたと判断すると、電力会社の経営者が訴えらる心配が出てきます。これも、株主の利益の存続権に関する問題になるかと思います。

 ドイツが脱原発をするに当たり、こうした憲法に関わる問題についても議論されました。議論の中心になったのは、人の健康権と原発の存続権のどちらが憲法上優先されるのか、あるいはどう共存できるのかという問題です。

 この問題については、法曹界でも原子力法の専門家などがいろいろ議論してきました。健康権を優先する法律家がいれば、存続権を優先させる法律家もいました。ドイツには、連邦憲法裁判所がありますから、そこで憲法判断させる手もありました。

 ただ当時、ドイツの法務省は憲法判断するほうがリスクが大きいし、最終的に確定するまでに時間がかかると判断しました。その結果、国と電力業界が直接交渉することによって妥協案を見つけて政治決着させることになりました。

 こうして、当時のドイツ政府はシュレーダー首相の下で2000年に、電力業界と脱原発に向けたロードマップについて合意しました。お互いにとって、かなりの妥協案だったと思います。でもそれによって、電力側が脱原発に対して憲法判断を仰いだり、法的手段に訴えてくるのを防ぎました。

 ぼくは、この点がドイツの脱原発においてとても大切な点だと思っています。だから、この最初の脱原発合意こそがドイツの脱原発だと思っています。それによって、脱原発の憲法上の問題もクリアしました。3.11後のメルケル首相による脱原発への決断は、この合意なくしてあり得なかったと思います。

 この点について、日本では見逃されているのではないかと心配です。

(2018年11月23日、まさお)

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