メディアはウソつき

 ペギーダ(PEGIDA)とは、ドイツ南東部ザクセン州の州都ドレスデンで誕生した反イスラム運動です。「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国主義者たち」とでも訳せるでしょうか。

 ペギーダの集会では、参加者はメディアの取材には一切応じません。むしろ、メディアは「ウソつき」として罵声を浴びせられたり、暴力を振るわれたりすることもあります。

 ペギーダのメディアに対する対応を単なるメディア嫌いと片付けていいのでしょうか。ぼくは、そうは思いません。そこには、報道における重要な問題があると思います。

 ペギーダ支持者の多くは、東ドイツ出身者です。(元)東ドイツ市民は、現在ドイツメディアが伝えるドイツ東部についてどう思っているでしょうか。

 旧東ドイツのこと、今の東部ドイツのことは正しく伝えられていないと思っていると思います。ぼくも、そう思います。ぼく自身、東ドイツで暮らしていたのでわかります。現在、ドイツのメディアで伝えられる東部ドイツは、(元)西ドイツから一方的に見た東部ドイツ像でしかありません。

 それは、ドイツ統一後のドイツメディアそのものが(元)西ドイツメディアでしかないからです。ドイツの公共放送は本来、法的に多様性を求められています。でもその公共放送でさえ、東部ドイツの現実を中立に伝えているとは思えません。西側メディアの視点でしか見ていないことが多いと思います。

 これは、報道するという点ではとても難しい問題です。報道する場合も、自分の位置というのがあります。その位置から離れて報道するというのは、簡単ではありません。ただ自分の位置にいるだけでは、違う場で起こっていることが理解できなかったり、見えないことがあります。

 この位置というのは、単に地理的な位置だったり、自分の考える位置だったりします。そこから出るために、取材に出て自分の足で取材して、そこで見たこと、感じたことを報道します。ただ、それも情報がたくさんあるだけに、情報から先入観をもらってしまっていることもあります。

 自分の考えから出るのは、もっと難しい問題です。先入観がすでにできてしまっています。でも、いろいろな考えを持つ人たちがそれぞれの位置から報道すれば、それぞれに特徴が出て、そこに多様性が生まれます。

 それは、メディア世界の本来の姿であると思います。ペギーダが「メディアはウソつき」という背景には、ドイツメディアが東部ドイツについて報道する場合、多様性がないことが一つの大きな要因だと思います。

 報道する場合には、多様な見方があることを伝えることが必要です。ただ現在、メディアの世界ではそれがとても難しくなっています。短い時間で、簡単に伝えることが求められます。これは、ネットの普及にも影響されていると思います。

 報道を受ける側も、報道の多様性に接していく必要があります。常に同じものを見たり、読んだりするのではなく、いくつか違った報道に接しては、比較してみるのもたいへん重要だと思います。

(2018年11月30日、まさお)

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