150年前、ドイツに日本人が留学していた
エルツ山地は、鉱物資源が豊富な地域です。現在もシリコンの原料が採掘され、フライベルクは、半導体産業の盛んなザクセン州のシリコンバレーなどともいわれます。
フライベルクでは18世紀後半、鉱山技術者を養成するための鉱山アカデミーが設立されました。鉱山技術の教育機関では世界最古のもので、現在は工科大学として現存する数少ない鉱山関係の教育機関となっています。
その鉱山アカデミーに、日本人の鉱山技師が留学していました。
確認されている限りでは、一番最初に入学手続きをしたのは、福井出身のUwao Imaiさん。1873年でした。明治維新から5 – 6年しか経っていません。次に、Rintaro IwajaさんとMistitaro Oshimaさんが、1877年に入学しています。
その後第一次世界大戦がはじまるまで、何人もの鉱山技師がフライベルクで勉強し、東京大学の教授になったり、秋田大学の前身である秋田鉱山専門学校の設立に尽力しています。秋田鉱山専門学校は、フライベルクの鉱山アカデミーをお手本にして1910年に設立されたといわれます。
ただフライベルクで卒業して学士を取得したのは、最初に挙げた先駆者の3人だけ。後の方については、数年勉強したが、卒業したという記録が残っていません(カール・シッフナー著「旧フライベルク鉱山学生の生活から」による)。
今でこそ、国外に留学する若い日本人も増えました。国外での生活も、たいへん楽になりました。しかし150年も前に留学するのは、今から思うと、とてもたいへんなことだったと思います。どの程度たいへんだったかは、想像もつきません。
ドイツに入国するのも、船で長い時間かけて渡ってきたと思われます。森鴎外がドイツに留学したのは、1884年でした。
当時の日本人留学生の足跡が、今ドレスデンに残っています。
当時フライベルクに留学していた日本人学生たちが、着物や人形など日本の品物をお土産などとしてフライベルクに持ち込んでいたのです。それが、フライベルクの博物館で保管されていました。統一後、それがさらにドレスデンにある民族博物館に寄贈されました。
ぼくがドレスデンの博物館の倉庫でそれを見せたもらった時は、着物のしつけ糸がついたままになっているなど、使った形跡はまったくないように思いました。でも、しっかり保存されていたと見られ、痛んだり、損傷したものはほとんどなかったと記憶しています。
フライベルクでドイツ人との生活の中に入っていくため、日本を紹介することも兼ね、感謝の気持ちから持ってきたのではないかと説明を受けました。それが、150年経った今もドレスデンに残っています。
こうした先人たちの苦労なしには、日本の近代化はなかったと思います。日本が明治維新後ドイツから学ぼうとしていた伝統は、今も続いているのではないかと思います。
ただ、ドイツで学んだことをそのまま1対1で日本で再現できるわけではありません。ドイツにはドイツの事情があり、日本には日本の事情があります。その現実は、当時も今も変わらないと思います。
(2019年1月11日、まさお)
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