ヴァイマール憲法100年

 今日5月3日は、日本の憲法記念日です。これを機に、日本では毎年のように憲法問題が議論されています。それは今、安倍政権によって憲法が改正される危険があるからではないでしょうか。

 日本の憲法でよく引き合いに出されるのが、ドイツのヴァイマール(ワイマール)憲法です。そこに、はじめて基本的人権である社会権が憲法で認められるなど、現在の民主主義のはじまりとでもうべきものがあるからだと思います。

 ヴァイマール憲法は、ドイツが第一次世界大戦で敗北し、ドイツ革命によってドイツ帝国が崩壊しなければ成立しませんでした。ただ民主主義的なヴァイマール憲法とはいえ、その後のナチスが台頭する法的な基盤になったのも事実です。

 この2つの問題は、日本でもよく注目されていると思います。

 ただぼくはここで、ちょっと疑問を持ちます。

 日本での見方には、ヴァイマール憲法ができ、ナチスが台頭した社会が抜けている、社会と社会の変化が表面的にしか見られていないように感じるからです。市民の実際の生活が見えません。それは、今の日本の改憲論で単に自衛隊の存在を明記すればいいだけの平べったい議論しかされていないのに通じるかもしれません。

 ヴァイマール憲法の成立とナチス台頭には、やはり社会的背景があります。それをしっかり把握しないで議論するのは、表面的するぎるのではないか。いい換えると、どういう形でそうなる社会的な共通の枠組みができていったのかということが捉えられていません。

 ぼくは、これまで第一次世界大戦のことはよく知りませんでした。その社会的な意義のことを知らなかったといってもいいと思います。ドイツでここ数年前から、第一次世界大戦に注目されていることもよくわかりませんでした。

 ぼくは先月、ヴァイマールにいく機会がありました。それで一つのヒントを得たように感じています。

 それは、産業革命から第一次世界大戦敗北、さらにドイツ革命と続く民主化のプロセスが「近代」へと導くものだということです。それは、制度の上ばかりでなく、社会生活においてもということです。

 その変化なくして、ぼくたちの今はありません。

 今年8月、ヴァイマール憲法は誕生100年を迎えます。

(2019年5月03日、まさお)

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