バウハウス100年
「バウハウス」といっても、日本では知らない人が多いと思います。知っていても、工芸と家具、デザインなどと建築を総合的に教育した新しい造形学校としか思っていない人が多いかもしれません。
線をまっすぐにして、機能性を追求したデザインであることから、芸術に合理主義や機能主義をもたらした活動と思っている人もいると思います。
バウハウスは1919年、工芸学校と美術学校が合併してヴァイマール(ワイマール)で誕生しました。初代学長は、創立者でもある建築家ヴァルター・グロピウス。
バウハウスとは、ドイツ語のBauhaus。「建設の家」ということです。
ドイツではちょうどその頃、第一次世界大戦に敗北し、ドイツ革命によってヴァイマール(ワイマール)共和国が成立した時期でした。
ぼくはこれまでこのブログで、ちょうどこの時期が近代のはじまった時期なのだと書いてきました。女性が参政権を得、ヴァイマール(ワイマール)憲法によって民主主義がはじまり、女性が自立していきました。
そして、このバウハウスも近代のはじまりを象徴するものなのです。
直線を主体として、機能性を重視したデザインは工業デザインとして、工芸品や家具、建物の工業化を可能にしました。それが、大量生産につながります。
わが家では、イケアの家具でイケアライフをしていますが、当時のバウハウスのデザインは、イケアのデザインの「元祖」だといっても過言ではありません。現代美術や工芸、工業デザインはみんな、バウハウスの流れを継承しています。
そして、その機能的なデザインが住宅や家具、備品などを通して、生活に近代をもたらしたのでした。
しかし、バウハウスがもたらした近代は、すぐに受け入れられたわけではありません。
州立学校のバウハウスは1925年にヴァイマールを追い出され、ドイツ中部のデッサウに移転して、市立学校になります。さらに1932年には、ベルリンに移転して私立学校になってしまいました。
ベルリン移転直後にナチスが政権を握ると、その圧力からバウハウスは1933年に解散せざるを得なくなりました。
でも、バウハウスの残したものはとても大きいと思います。現代の生活の身の回りにあるもののほとんどが、バウハウスをルーツにしているといえます。
第一次世界大戦を前後とする20世紀初期の時代が、現代にとっていかに重要だったかが、ようやく少しわかってきたように感じます。
(2019年5月17日、まさお)
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