ハイヒールか、スニーカーか
1980年代はじめに誕生したドイツの緑の党。その緑の党で、はじめて大臣になったのが、後に外相ともなるヨシュカ・フィッシャーさんです。当時フィッシャーさんは、ドイツ南西部ヘッセン州の環境大臣となりました。
大臣になる時、大臣はまず、議会において宣誓しなければなりません。その時、フィッシャーさんはラフなジャケットに、スニーカーを履いていました。それが後で、(西)ドイツでたいへんな物議を交わすことになります。
今でこそ、ドイツでは政治家がラフな格好をするのは、当たり前。ドイツの国会議員の中には、ピアスをしている議員もいます。ドイツ社会は当時に比べると、変わってしまったと思います。
でも当時は、そうではありませんでした。当時はまだ、政治家、大臣の身なりに社会的なドレスコードがあったのでした。
日本で今、女性が職場でハイヒールを強制されることに抗議して、#KuToo運動が起っています。それを知って、このフィッシャーさんのスニーカー事件を思い出しました。
ドイツでいる気軽さは、身なりに干渉されないことです。身なりは気にしない。それで、人も判断しない。これが、ドイツの多くの市民にとって日常茶飯事です。
首相の会見であろうと、ぼくは記者会見にジーンズでいきます。ぼくは普段から、靴はつま先が幅広で、靴底が平らな健康履か、スニーカー/運動靴しか履きません。暑い時は、会見にもサンダルでいきます。ジャケットをきて会見にいったこともありません。
それでも、まったく問題ありません。会見で質問もできます。
ぼくの連れ合い(日本人)が、日本ではじめてオペラ公演で歌った時でした。連れ合いは、リハーサル会場までの移動に時間がかかるし、リハーサルではいろいろ動くことになるので、身軽でラフな服装をし(夏なのでバーミューダパンツ)、スニーカーでいきました。
ドイツでオペラ公演のリハーサルに行くのと同じ感覚した。演出家も、これまでドイツで一緒に仕事をしたことのあるドイツ人演出家でした。
ところが、いって見てびっくり。
同僚の日本人女性歌手たちは、身だしなみをしっかりきれいにしています。厚くお化粧をし、高級ワンピースやスカートを着て、ハイヒールを履いていました。このギャップに、連れ合いはカルチャーショックを受けました。
同僚の日本人歌手たちからは、「ドイツでは、そういう身なりでリハーサルするのですか」と、皮肉っぽくいわれました。日本では、オペラ歌手はオペラ歌手なりの身なりをしないといけないのだそうです。
でも連れ合いは、リハーサルで動くことを優先して、身軽な服装にスニーカーで押し通しました。
ぼく自身も、日本で高級デパートに入る時に、お客さんの身なりを見てカルチャーショックを受けます。
もちろん、ドイツでもドレスコードにうるさいところもあるし、身なりで判断する人がいるのは事実です。でも、そういう人や場は限られています。
日本でのハイヒール問題や服装の問題は、単に企業の問題ではなく、日本社会全体の問題だと思います。
日本では、幼稚園から学校まで、制服や身なりが規定されています。それによって、小さい時から身なりの問題を社会的に統制して、社会規範が優先されることを学びます。
ぼくが10代の時は、中学校では坊主頭が義務付けられていました。
ぼくは制服や坊主頭がいやで、わざわざ坊主頭の必要ない中学校に越境入学していました。
就職活動においてみんな同じような「制服」を着るのは、会社に従順に従いますと意思表示しているのと変わりません。
#KuTooの提起する問題は、日本の教育も含め、日本社会そのものを反映していると思います。日本社会が根本的に変わらない限り、この問題はいつまでも続きます。
(2019年6月14日、まさお)
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