米軍機が墜落

 米軍エアベースのあるラムシュタインから車で北に1時間余り走ったところに、ラウフェルトという小さな村があります。人口は約500人。

 2011年4月のはじめでした。仕事から自宅に戻っていたユンク村長の家のベルが鳴りました。家のドアを開けると、女の子が立っています。

 女の子は、村の近くで飛行機が墜落したのを見た、と村長に伝えます。女の子のいう方向を見ると、確かに煙が立ち上っていました。

 ドイツ連邦軍の研修センター館長として勤務しながら、名誉職の村長を務めているユンク村長。村長はすぐに、米軍の飛行機ではないかと直感します。すぐに車で現場に向かいました。

 事故現場には、まだ誰もいません。パイロットが墜落直前に緊急脱出し、負傷しています。村長はすぐに、パイロットにところに向かいました。するとパイロットは村長に、「住民に被害はなかったか」と聞きました。

 飛行機が墜落したのは、農地でした。村長は、「住民に被害はなかっただろう」と答えました。

 村長は、地元の消防隊と警察に通報しました。消火作業がはじまります。まもなくして、米軍の救急車と軍事警察も現場に到着しました。

米軍攻撃機墜落現場写真。ラウフェルト消防隊提供

 墜落したのは、ラウフェルト近郊にあるシュパングダーレム米国空軍基地に駐屯するA-10型攻撃機、サンダーボルトII。通常の訓練飛行中だったといいます。ユンク村長は、「高度を下げすぎて上昇しようとしたが、待ち合わなかったようだ」と説明してくれました。

 墜落した攻撃機には、爆薬などが搭載されていたという情報もあります。でもそれについて、正確なことはわかっていません。

 ユンク村長は、「(墜落現場は)村の住宅のあるところから、わずか数100メートルしか離れていなかった。村の住民に被害がなかったのは、ラッキーだった」といいます。

 ここで気になるのは、事故後の捜査と処理はどうのように行われたかです。

 ユンク村長によると、それについてはNATO軍の規定があり、NATO軍加盟国に対して同じ規定が適用されます。日本と違い、米軍だからといって特別に待遇されるわけではありません。

 墜落した攻撃機は、米軍のもの。だから、ドイツ側にはそれに近づく権利がありません。事故機の周りは米国の軍事警察が封鎖し、ドイツの捜査官でさえ近寄ることができません。ただ事故現場周辺については、ドイツの警察当局が管轄し、事故現場を封鎖しました。

 事故後、ドイツ側から現場のある州と連邦政府の担当機関からも事故の状況を見聞にきました。

 攻撃機の墜落によって、農地が飛行機の燃料や各機器に使われている油によって汚染されました。農地の汚染された土は新しい土に交換され、農地の所有者は補償されました。土の交換作業はドイツの民間企業が行い、その費用はドイツと米国が共同で負担しました。

 事故原因の捜査においては、米軍が調査します。でも、ドイツ側からも航空安全局の担当官が参加します。ユンク村長によると、ドイツ側の担当官からいつでも事故の捜査状況を聞くことができました。

 ユンク村長は、「すべてNATO軍の規定にしたがっていた」といいます。「NATO加盟国はすべて平等に扱われており、今回の墜落事故においても地元のドイツが不当に取り扱われたことはない」と感じています。

 ユンク村長のところには、これまで沖縄から記者や自治体関係者が訪れています。そのため村長は、沖縄における基地周辺自治体の状況についても知っていました。

 それについてどう思うかと聞くと、ユンク村長は「(沖縄など日本の基地周辺の状況は)信じられない」と、答えてくれました。

(2019年9月06日、まさお)

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