日本の高校生とナチスの強制収容所跡を見学

 今年の夏も、福島県から高校生がベルリンにきてくれました。

 これまで高校生がベルリンにくると、ブランデンブルク門周辺に設置されているホロコースト記念施設(ユダヤ人、シンティ・ロマ、LGBTに分かれているので、できるだけすべて見てもらうようにしています)と、ナチスのゲシュタボ(秘密警察)本部跡に設置されているテロのトポグラフィー博物館を見てきました。ナチスドイツの過去について、ドイツがどう伝えようとしているのかを知ってもらうためです。

 それに加え、目の見えないユダヤ人を支援してきたオットー・ヴァイトの作業所のあったところが博物館になっているので、そこにもいくようにしてきました。

 これは、ナチスのような独裁体制下においても、それに抵抗して戦ってきた人たちがいることを若者たちに知ってもらうためです。抵抗の歴史を知るのも、若者たちにとってとても大切だと思います。この点は、ドイツの連邦議会が毎年アウシュヴィッツ解放の日に企画している国際青年交流プロジェクトを何回か取材して学びました。

 これまで悩んできたのは、高校生たちとナチスの強制収容所跡を見学すべきかどうかです。ただベルリン滞在が短く、これまではベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所跡まで行く時間を取ることができませんでした。

 たとえばテロのトポグラフィー博物館には、残酷な写真がたくさん展示されています。それを見た高校生の中には、もうダメ、こんな写真ばかりを見ることはもうできないといいだす生徒がいました。それ以降、テロのトポグラフィー博物館を避けて、ナチスドイツの過去を伝える方法を考えています。

 連邦議会の国際青年交流プロジェクトでは毎年、大きな強制収容所跡を見学します。プロジェクトではいつも、ドイツの強制収容所跡において若者研修プロジェクトを担当している責任者などが引率しています。その点で、ナチスドイツの過去を若者に伝えるプロが一緒だといっていいと思います。

 ぼくはこの国際青年交流プロジェクトを取材した時に、プロジェクトに参加する若者ばかりでなく、引率する研修のプロたちからも話を聞きました。

 たとえばドイツ南部のバイエルン州では、9年生ないし10年生になると、ナチス強制収容所跡をクラスで見学することが義務付けられています。そのバイエルン州州都ミュンヒェン近郊にあるダッハウ強制収容所跡近くに設置されている若者研修センターの所長さんと話したことがあります。所長さんは、バイエルン州ではそう義務付けられているが、9年生ないし10年生に強制収容所跡を見学させるのは、ちょっと早すぎると思っているといいました。

ザクセンハウゼン強制収容所跡前の正門前に並ぶ福島県高校生たち(2023年8月)

 9年生ないし10年生は、15歳と16歳です。ちょうど福島県からくる高校生と同じ年頃です。実はぼくも、所長さんと同じ考えでした。それで、所長さんに年齢の問題について質問したのでした。

 ドイツも日本も戦争体験者の高齢化で、戦争を体験した生き証人が減るばかりです。この状況において、戦争の過去をこれからの世代にどう伝えるのか。今の世代に残された課題は大きいです。

 ぼくが連邦議会の国際青年交流プロジェクトに参加するドイツ人の若者に聞いた限りでは、ドイツの若者たちは学校で、強制収容所生存者の体験を聞いていました。しかし、強制収容所生存者は減るばかり。この問題について、ベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所博物館の館長さんと話をしたことがあります。

 館長さんは、若者たちに研修、教育の場を提供して伝えていくしかないといいました。だからこそ、強制収容所跡には若者のための研修センターが設置され、若者たちがナチスの過去を知り、勉強する場が提供されています。

 今年の夏は、福島県高校生のベルリン滞在が1日長かったことから、ベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所跡を見学するチャンスが生まれました。その点で、またとない機会でした。しかしぼくは、高校生といっていいものかたいへん悩みました。

 しかしこの機会を逃すと、強制収容所跡を見学するチャンスがまたあるかどうかわかりません。ぼくはいこうと決心しました。

 高校生たちには強制収容所跡において、施設内に残る主な設備を見せるが、展示されている写真は一々見せないことにしました。

 強制収容所跡は、とても広い。敷地内をたくさん歩く上、展示物まで一つ一つ見ていると時間がとられます。それでは、疲れるだけです。頭も働かなくなっていきます。

 ぼくは歳のわりに、たくさん歩くのには慣れています。歩くのは問題ありません。しかし日本の高校生は、歩くのが遅い。持久力もなくて、それほど歩けません。今回も、運動部で活躍している高校生がたくさん歩いて足が痛くなりました。

 日本の高校生は、近代史のことをほとんど知りません。それはこれまで、日本の高校生と付き合ってきた体験からわかっていました。これまでのようにホロコースト記念施設を見るだけでは、それほど気になりませんでした。しかしいざ強制収容所跡を見学するとなると、高校生は第二次世界大戦を巡る歴史を知っているだろうかと、いろいろなことが気になりました。

 案の定、ぼくの不安は的中しました。

 ナチスとは何かにはじまり、親衛隊は何か、ホロコースト、強制収容所とは何かまで、ゼロから一つ一つ高校生に知っているかを聞いて、まず説明することからはじまりました。戦後のドイツ分割や冷戦までについても、話さなければなりませんでした。

 高校生が近代史を知らないのは、日本の中等・高等教育の問題といってしまえば、それまでです。しかし現代にとって、近代史はとても大切です。それを、日本の若者は知らなさすぎます。戦争を二度と繰り返さないようにするのは、戦争の過去を知ることからはじまります。日本の教育は、それをまったく忘れ、無視しています。

 ぼくは一つの場所から次の場所に移る毎に、次はこういうところにいくが、行きたくない人はいってと毎回聞いていました。そのうちに火葬場にいく直前に、高校生2人がもういきたくないといい出しました。続けていきたいという高校生と一緒に火葬場を見て、その後に行きたくないといった高校生2人と落ち合います。

 次に、人体実験をしていた医療室にいきます。ここでは以前、かなり残酷な写真が展示されていました。しかしそれはもう、展示されていません。それは、知っていました。医療室には、医療器具ももう展示されていません。いずれにせよここでは、人体実験が行われていたことを伝えておくべきです。地下の死体置き場には、高校生はついてきました。それに対して医療室まできたのは、半分くらいに減りました。

 まだまだ見るところが、あります。しかし今日は、これで十分だと思いました。これから高校生たちは、強制収容所跡を見た体験をどう消化し、どう生かしていくのでしょうか。

 ぼくは、ザクセンハウゼン強制収容所にはユダヤ人だけが収容されていたわけではないことを最初に、はっきりといっておきました。

 毎年高校生たちがベルリンにくると、連邦議会の屋上に上がります。その時ぼくは、ドイツの憲法に相当する基本法について話します。市民と国民の違いは何かからはじまり、ドイツの憲法では国民ということばが使われていない話もします。

 次に、基本法第1条第1項に「人の尊厳は侵すことはできない」とあることを示し、それが現代ドイツの最も大切な基本になっていることを話します。それから第3条第1項の「すべての人は、法の下で平等である」に移り、最後に第3条第3項の「何人も、性別、血筋、人種、言語、門地、信条、宗教観、政治観から差別されてはならない。何人も、その障害から差別されてはならない」と、書かれていることについて話します。

 今回せっかく強制収容所跡にきたのですから、この基本法の考えが、ナチスの強制収容所の過去の教訓から生まれたものであることを、高校生たちに気づいてもらいたいと思いました。それだからこそ、ザクセンハウゼン強制収容所にはユダヤ人だけが収容されていたわけではないことを強調しておいたのです。

 強制収容所跡を見た後、高校生たちと一緒にディスカッションしたかったのですが、いろいろ事情があってできませんでした。ぼくはそれを、たいへん残念に思っています。

 しかし高校生たちが書いたその日のレポートを見ると、高校生たちにはそれぞれ感じるところがあったのがわかります。ただ後でみんなでディスカッションすることによって、その体験から過去と将来についてより深く考える貴重なきっかけを逸してしまったのは事実です。

 迷った上に実現した強制収容所跡の見学でした。だが高校生たちには、それなりに何か持って帰ってくれるものがあったと思います。まずはそれだけで、ホッとしています。

(2023年8月16日、まさお)

関連記事:
変わらない日本
東ドイツの高校生がもたらした民主化の芽
考える授業(1)
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(ふくもと まさお著)

ナチス強制収容所跡写真集

関連サイト:
高校生震災体験報告
電子書籍『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』(ふくもと まさお著)

この記事をシェア、ブックマークする