「復興」ということばの魔力
夏になると、福島県から高校生がベルリンにやってきます。高校生たちは、震災・原発事故後の自分の体験を英語にして、ドイツで報告します。
高校生の体験報告をはじめたのは、6年ほど前からだったでしょうか。その後、コロナ禍で高校生のドイツ訪問プロジェクトは2回、中止になりました。
今年2023年夏にドイツにきた高校生は、震災・原発事故のあった2011年には、まだ3歳から6歳でした。その高校生の報告で目立ったのは、「復興」ということばでした。
何かにつけて、ふくしまの復興のため、将来はこうしたい、ああしたいという報告が目につきます。
高校生の報告文をドイツ語に翻訳している時、ぼくにはそれがとても気になりました。その翻訳を見てもらったドイツ人の友人も、「ええっ、これはなんということだ」と、驚いていました。「政府や県にうまく教育され、その手先になったようなものだね」とまでいいました。
ぼくは友人に、「ぼくもそう思っている。高校生たちと後で、この問題で話してみようと思っている」と、答えました。
高校生たちは小さい時から、「復興」ということばに接触してきました。小さい時からその意義をよく理解しないまま、復興」ということばがからだに染み付いてしまったのだと思います。
震災・原発事故後、「ふくしま復興のため」とか、「ふくしまがんばれ」などというとことばをよく耳にするようになります。それは、震災後、被害を受けた福島県を立て直し、前の生活に戻りたいという気持ちを現しています。とても美しいことばのように感じます。
しかしぼくは、それに疑問を持っています。
津波で破壊され、放射能に汚染されたふるさとは、もう戻ってきません。2011年前のふくしまを取り戻したいという気持ちは、痛いほどわかります。しかし現実として、それは不可能です。再出発するしかありません。
まずそう、認識する必要があります。大人であれば、それで自分はどうすべきか、家族はどうすべきかを考えます。それが、大前提です。再出発のため、やむをえず移住を選択した家族もあります。
それに対して、災害と事故の影響を十分に判断できないこどもは、親の判断にしたがうしかありません。そうして災害から、10年以上が経ちました。高校生になった若い世代は、自分の将来について考え、自分の将来を決めていく時期に入ってきました。


2015年10月に福島県を取材した時に撮影
その時、震災の現実をよく理解できないまま育ってきた若い世代の高校生には、「復興」ということばが自分の将来にとってとても重要なことのように映ります。「復興」ということばの魔力に、束縛されてしまったのだと思います。
それで高校生は、自分の将来について自由に判断できますか。できないと思います。そのような状況で高校生が大人になって、地元と日本という国に将来はありますか。
若い高校生には、自分の将来は自分で決め、自分の夢を実現してもらってこそ、社会にとって意義があり、社会の発展につながります。
それを復興、復興といって、高校生たちがそのために、何かしなければならないように感じてしまい、高校生たちが将来を犠牲にしてまで福島県や日本のために何かしなければならない、何かしたいと思ってしまっていいのでしょうか。
高校生にそう思い込ませてしまったのは、大人の責任でもあります。大人として、それでいいのでしょうか。
それでは「復興」ということばによって、高校生たちの成長、発展する能力と未来を制限していないでしょうか。
この問題について、ベルリンにきていた高校生数人と直接話す機会がありました。
「ぼくは、きみたちが自分の成長したいように成長してもらいたいと思うし、それでいいんだよ。その結果として、ふくしまのためになればいいのではないかな。最初からふくしまのため、復興のために、わたし、ぼくはこうしたい、何になりたいというのは、どうも疑問に思う。自分の将来は自分で決めてほしいし、きみたちが自分の夢を曲げてまで、ふくしまの犠牲になってほしくないと思うけど。きみたちが将来、自分で本当にしたいことをできるようになってはじめて、ふくしまのことになると思う」
ぼくはそう、いいました。
ぼくは若い世代には、自分自身のため、自分の将来のために自分でいろいろと努力してほしいと思います。しかしふくしまの復興という名目で、自分の将来を決めてもらいたくないし、努力もしてもらいたくありません。
ぼくがそういうと、高校生たちの顔が明るくなったように感じました。高校生たちは「復興」について自分なりに、悩んできたのだと思います。
ぼくの話を聞いた後、高校生の1人が「そうでした。それはよくわかります」といってくれました。
別の高校生からは日本に帰国した後、「ドイツにきて、ドイツの再エネ企業で働きたいと思うようになりました。その時はよろしくお願いします」というメッセージもきます。その高校生は報告文で、地元に残って働くことを強く考えていただけに、ぼくは少し驚きました。
ぼくは高校生に、語学と自然科学の科目をしっかり勉強しておきたいねと返信しました。すぐに「がんばります」がきました。
高校生たちはふくしまから外に出て、ドイツにおいていろんな人と会って話しながら、いろんな考えがあることを学び、視野を広げることができたのだと思います。
ぼくは次に日本に帰国する時、福島県に取材にいく予定にしてます。高校生たちにはその時に、またみんなで一緒に会って話そうといってあります。その時を楽しみにしています。
(2023年8月29日、まさお)
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関連サイト:
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