日本で外国語を教育するのはなぜか
将来世界を飛び回って活躍するには、英語など外国語が欠かせません。
かといって、日本の学校で教育された外国を使って、コミュニケーションしたり、デスカッションできるかというと、まず無理ですね。
福島県の高校生が毎年夏、ドイツにきています。高校生たちは英語で、自分の震災・原発事故体験を語ります。それは、ドイツにくる前にしっかり準備して、テキストができあがっているからできるからです。
できたテキストを読み上げるか、暗記しておけば、英語を使って説明しているように見えます。
ただ福島県の高校生が、ドイツの同じ高校生と英語でコミュニケーションできるかというと、できません。片言の英語を使って、何とか意思疎通ができるというのが現実ではないでしょうか。
スマホに辞書があるので、それもたいへん役立っているようです。
なるほどなあと思うのは、進学校の高校生よりも、進学校ではない高校に通っている高校生のほうがコミュニケーションできるということです。
それは、進学校の高校生は話そうとしてもまず文法のことを考えるので、ことばが出てきません。それに対して、学校で英語の成績のよくない高校生は、文法などどうでもいいので、英語の単語だけでも口に出してコミュニケーションしようとします。だから、そういう高校生のほうが、ドイツの高校生と一緒に話すことができるようになります。
日本の英語教育は、文法は教えても、話せない、聞き取れない英語にしかなっていません。それが、日本の英語教育の現実です。

先日、日本で長い間ドイツ語の講師をしたり、法学教授をしていたドイツ人の友人とゆっくり話す機会がありました。
その時に、福島県高校生の英語の能力について話したら、それは当然だといわんばかりでした。
友人いわく、日本の外国語教育は、外国語が難しいということを知って、外国語を勉強するのを諦めさせるためにしているようなものなのです。
日本の大学で外国語を専攻しても、大学を卒業した後に使いものになる外国語を身につけているのは、東京外語大の卒業生くらいだろうといいます。大阪外語大レベルでも無理だと、友人は断定しました。
そういわれてみると、確かにぼくにも思い当たります。ぼくは高校に進学してから、特に英語が嫌いになりました。授業で教えられるのは文法だけで、英語の単語はたくさん覚えろといわれるだけ。授業では、ぼくに順番が回ってきて答えなければならなくなるのを、いつも嫌だなあとビクビクして待っているだけでした。
これで、英語が身につくはずがないと思っていました。高校生の時に英語が嫌になって、勉強しないままで終わってしまいました。
ぼくが高校生だったのは、もう数十年も昔のことです。今の高校の授業はもう、変わっているだろうと思っていました。
しかし福島県の高校生に聞いたら、今の高校生も授業において毎日、当時のぼくとまったく同じような体験をしているのがわかりました。ぼくはびっくりしました。
それでは、英語ができるようにはなりません。英語が嫌いになるだけです。福島県高校生が、ドイツにきて英語でコミュニケーションできないのも当然だと思いました。
さらに問題は、親御さんです。親御さんの中には、自分のこどもには外国語はできないと決めつけている親御さんがいます。ある女子高生からは、お父さんからいつも、お前にそんなものできるかといわれていると聞きました。
それで、女子高生が語学力を身につけるはずがありません。その女子高生には、語学ができるようになるかどうかは、自分の意欲次第。やりたい、やろうと思って、しっかり勉強すればできるようになる、自分次第だといって、励ましました。
その子がゲーテの『ファウスト』が大好きというので、ベルリンの書店に行って原本を買いました。それからはその女子高生、時間さえあれば、日本語の翻訳本と原本をいつも読み比べるようになりました。
学校も学校なら、親も親です。それで、若者の語学力が向上するはずがありません。結局、難しいからいいやということで、勉強しないままで終わります。
ドイツ人の友人は、日本の外国語教育の問題をしっかり見ていました。
(2023年9月15日、まさお)