地道な市民

原発は、倫理では止まらない

 2011年3月14日、セバスチャンさんの事務所にはグリーン電力を供給してほしいというファックスの申込書が山のように散らばっていた。翌3月15日、ドイツのメルケル首相は1980年以前に稼働していた原子炉7基を3カ月間一時停止すると決定した。

 メルケル首相は前年10月、2000年6月に政府と電力業界で合意していた脱原発を見直したばかりだった。原子炉の稼働年数を平均で12年延長した。

 ところが日本で大きな地震が発生、福島第一原子力発電所で水素爆発事故が起こった。すると、ドイツで稼働中の半分近くの原子炉をすぐに停止させたのだった。3カ月間で、原子炉のストレステストを行って安全性を確認する。さらに、原子力発電を継続するか、止めるかを検討し、エネルギー転換へと進むことを審議する倫理委員会を設置することも決定した。

 メルケル首相の脱原発への変心は、ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州で2週間後に予定されている州議会選挙において、中道右派の苦戦が予想されたからだと、ドイツでは批判された。事実、州議会選挙後ドイツではじめて緑の党の州首相が誕生した。

 それに対し日本では、福島第一原子力発電所事故後に脱原発へと舵取りしたメルケル首相の政治判断が高く評価された。特に原子力発電問題を倫理問題として捉えて原発を止めたと、メルケル首相の対応が喝采された。日本のメディアも、原子力発電所事故によってドイツが脱原発へ転換したと報道した。

 しかしドイツは2000年、経済界の合意を得てすでに脱原発を決定していた。メルケル首相は、最終的に脱原発する時期を延長したにすぎなかった。福島第一原子力発電所事故後の再見直しにおいて、メルケル首相は2011年4月、ドイツの電事連であるbdew首脳と会談している。ぼくは、それがとても重要なポイントだと思っている。それを前提に、ドイツ政府は脱原発を2022年までに実現すると決定した。倫理委員会の答申は、むしろその後に出されている。ただこれは、あまり注目されていない。

 日独の見方の違いには、すでに脱原発に一歩踏み出していたドイツと、原子力発電所事故という大惨事に遭遇し、原子力発電への批判が過熱した日本との違いが感じられる。

 日本では、脱原発のお手本がほしかったのだと思う。その憧れは、脱原発の進まない日本社会に対する落胆、失望感の現れだった。そこには、強い被害者意識もあると思う。だからこそ、メルケル首相が倫理委員会を設置したことに共感が持たれた。日本では、ドイツが倫理によって脱原発を決定したと解釈された。

 ぼくは、これは誇大解釈だと思う。

 メルケル首相は当時、脱原発政策を見直したばかりだった。それを撤回するためには、ドイツ市民を納得させるだけのプロセスを必要とした。ドイツ市民は、チェルノブイリ原発事故で原子力発電の恐ろしさを体験している。それだけに、福島第一原子力発電所事故によって市民はより不安になっていた。その状況下で、政治が単にトップダウン式に強要するのではなく、脱原発とエネルギー転換に向けて社会的なコンセンサスを形成することが求められた。

 ドイツは、脱原発を最終目的としているのではない。石油、石炭、ガスの化石燃料からも撤退し、エネルギー全体を太陽光、風力などの再生可能エネルギーに転換することを目指している。脱原発は、そこに至る一つのステップでしかない。

 エネルギーを転換するプロセスにおいて、社会構造と経済構造の改革が必要不可欠だ。そのコストを追うほか、職を失う危険があるなど、市民にも大きな痛みが伴う。それをどう正当化するべきなのか。さらにどうすれば、市民の負担を軽くすることができるのか。エネルギー転換に対して市民の賛同を得るには、どうするべきなのか。

 そこに、「倫理」という概念の入り込む余地がある。だから、倫理委員会だったのだ。 脱原発委員会でもなければ、エネルギー転換委員会でもなかったのは、そういう背景があったのだと思う。

 しかし脱原発を決定してエネルギー転換を実現するのは、単なる「倫理」の問題ではない。社会的問題であり、経済的問題である。そして、政治判断の問題でもある。メルケル首相には、冷静に考えて判断する責任があった。でも日本での原発事故後、できるだけ早く決断しなければならなかった。だから、3カ月というとても短い期間で結論を出すと決定したのだった。

 ぼくは倫理委員会設置の記者会見で、トプファー共同委員長に「こんな短い期間で結論が出るのか」と質問した。委員長は「3カ月でも何とかなる」といった。ぼくは、結論ははじめから出ていたという感触を得た。手順が必要だっただけだと思う。その基盤となる枠組みが、「倫理」だったのではないだろうか。ぼくは、そう思っている。

 原発は、単に倫理で止まるわけではない。原発は、再生可能エネルギーへの転換プロセスにおいて不要となる。そのことを誤解してはならない。

(2018年8月16日、まさお)

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