地道な市民

産業化によって発生するコストは誰が負担?

 本章の冒頭で、大気汚染によって病気になっても、健康保険で治すしかないと書いた。保険料は市民が支払っているのだから、大気汚染を引き起こした産業はそのコストを負担せず、市民が健康保険で支払っているにすぎない。要は、そのコストを社会に押し付けた形になっているということだ。

 化石燃料を基盤にした産業化によって起こった環境汚染は、産業化のコストとしては加算されない。産業の外部コストとして社会が負担していることになる。また、環境汚染によって引き起こされる公害を規制するために、多大な行政コストも発生しているのを忘れてはならない。それも、行政予算でカバーされているのだから、納税者負担、市民負担だ。

 現代人が環境を汚染したままにすれば、そのツケは後の世代に押し付けることになる。そのツケは、後の世代によって負担されるのだから、現世代は後世代の補助を受けて環境を汚染しているといっても過言ではない。

 産業化による環境汚染で発生するコストを外部コストにするのは、産業がうまくいって経済が成長すれば、それによって一般市民は働いて給与をもらって恩恵を受けるのだから、産業を優先するべきだという経済論理があるからだ。

 でも経済論理からすると、汚染された水ときれいな飲料水の経済価値は明らかに違う。飲料水のほうが価値が高いはずだ。でも産業が優先されると、市民はきれいな飲料水には支払わず、汚染された水のほうを負担させられる。市民にとって汚染された水のほうが優先され、価値があるとされているのと変わらない。

 これって、正当な経済論理?

(2018年11月04日、まさお)

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