グローバル化と財政規律

 前回書いた金融緩和は、いってみればお金を市場に流し込むために国が借金することだ。借金ははじめから、還す当てがない。でも、今経済を立て直して生活を維持するためには必要だという論理。

 この論理は簡単にいえば、今の生活のために借金をして、そのツケを次の世代に押し付けるといってもいい。

 借金をしても、それを償還するための利子が増えるだけ。借金して使えるお金は、多くはない。悪循環といっていい。

 それを修正するのが、財政規律を正すことだ。借金と支出を抑えて、借金の負担を後に押し付けないようにする。国家財政を健全化しようという試みだ。

 その結果、公共投資が増えないので経済効果はすぐには現れない。

 同時に、支出を減らしたり、社会構造を改革する必要があるので、市民の痛みを伴う政策も必要となる。

 次の選挙を考えると、誰も市民が痛いと思う政策を講じる政治家はいない。それが、財政規律が目先だけの政策となり、財政規律が効果をもたらさない結果も招く。

 でも、なぜ国内の財政規律問題がグローバル化と関係があるのだろうか。

 たとえばユーロ圏では、財政規律を維持する規定がある。ユーロ導入国はユーロ圏というグローバルな枠組みにおいて、財政規律が求められる。たとえばギリシャ危機の時に、ドイツはギリシャなど南欧諸国に対して厳しい財政規律を維持すべきだと主張し、それを押し通した。

 これが一つのグローバル化と財政規律の関係を示す事例だ。だがこれは、ユーロ圏という特殊な事例だといってしまえば、確かにそうだ。

 でも、それだけではない。

 グローバル化によって勝ち組、負け組ができる。それは国ばかりでなく、国内でもグローバル化で格差が拡大する。国内の負け組は、右翼ポピュリストの影響を受けやすくなり、右翼ポピュリストが台頭する地盤ともなる。

 それは米国やイタリアなど、右翼ポピュリストが政権を握る国を見れば、よくわかると思う。

 その結果、財政規律はどうでもよくなり、内向きになって財政出動だけが進められる。つまり、なりふり構わず借金を増やしていくということだ。

 たとえば、米国やイタリア、日本などがそうだ。いずれも、右翼ポピュリスト政権となっているということにも共通点がある。

 金融緩和と財政規律は、対極にあるように見える。でも、そうしなければならなくのも、それが意味を持たなくなるのも、グローバル化と深く関わっているといわなければならない。

(2019年2月21日、まさお)

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