ネオリベラリズムと右傾化
前回、ネオリベラリズムとグローバル化が密接な関係があることについて書いた。
ネオリベラリズムの考え方が、グローバル化の基盤にある。その結果、生産が格差を求めて世界中で分業化され、サプライチェーンがグローバル化する。
そこでは、市民の自由や権利よりも、資本の自由のほうが優遇される。市民の自由と権利は保護されない。それが、途上国において労働者が労働基準や環境基準もなく労働させられる背景だ。
ネオリベラリズムにおいては、自由競争に勝つことが最優先される。そのために、企業も個人も自己を犠牲にして走りまくるしかない。それが、さらにグローバル化を加速させる。
それとともに、自由競争に負け、社会の流れから取り残された層が生まれる。こうして、中間層が縮小する。
でも中間層から外れると、保護されず、社会から見捨てられるだけとなる。ネオリベラリズムには、セーフティネットなどないからだ。
その結果、社会に不安が生まれ、治安が悪化する。特に、中間層の生活がより不安定になる。
これが、右傾化を生む背景だ。
社会には常に、保守的、右翼的な層が存在している。でも、その層が大きな声をあげて、勢力を拡大するかどうか。それが、右傾化するかどうかの岐点となる。そこでは、中間層の不安が右傾化への大きな刺激となる。
社会不安によって、中間層の保守的、右翼的なところが目をさます。それとともに、左派層も右傾化していく。左派的な考えの中にも、保守的なところがあるからだ。社会への不満ということでは、国家主義的かどうかを除くと、右派と左派の間に大きな差はない。
こうして、社会はより右傾化する。同時に、右翼政治家が勢力を得て、右翼的、極右的な発言を繰り返す。それが、社会の右翼層、極右層をより勢いづかせる。
これが、社会の右傾化するメカニズムだ。そしてこれが、20世紀はじめの植民地時代から第二次世界大戦までに至る社会のプロセスだったとも思う。
そして今、われわれもこのメカニズムの中にある。
(2019年7月18日、まさお)
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