空洞化の議論からグローバル化を見る
グローバル化で、国内生産拠点が労働力の安い地域に移転して、国内での産業の空洞化が問題となっている。
特に日本の経済は、系列化した縦型構造だ。中小企業は系列内において、どっぷりと大手企業に依存している。その分、大手企業が生産拠点を国外に移転すると、国内の中小企業が大きな影響を受ける。
ただ、先進国は空洞化現象を避けることができないのも事実。それに対しては、技術革新などによって国内で新しい産業を育成するなどして、産業構造を転換していくしかないともいわれる。
これが、先進国における一般的な議論だと思う。
そして今、先進国では社会の高齢化で専門職不足が懸念されている。それに対応するため、先進国間では国外から優秀な専門職をリクルートする競争が激しくなっている。
この現象は、産業分野ばかりでなく、介護などその他の分野にまで広がっている。またサービス産業や農業など単純労働が必要なところでは、低賃金の外国人労働者が重宝され、過酷な労働条件で働かされる。
さて、ここまできて一つ気づかないだろうか。
空洞化や国外労働者に関わる問題は、一方的に先進国側の視点からでしか議論されていないということだ。
グローバル化が格差において成り立っているのは、すでに書いた。空洞化の議論も、格差がベースになっているのがわかると思う。空洞化は、上にいる側の視点からしか議論されないのだ。
汚い、過酷な労働は、国外に移転される。それで、移転先がどうなるかは配慮されない。優秀な労働者をリクルートしても、労働者の母国においても労働者が必要なことは頭の片隅にもない。介護でも、同じことだ。相手国において介護の人材が不足することはどうでもいいのだ。
これは、逆の立場から見れば、空洞化ということだ。
こうして見ると、空洞化というのは客観的なものではないく、主観的なものであることがわかる。
空洞化に対抗するため、保護主義的になることがよくある。でもこれまで見てきたからわかると思うが、保護主義も空洞化と同じように、主観的な視点から行われるにすぎない。
本来グローバル化の意味は、お互いの自由、公平、公正、多様性を尊重して、世界中で平等な協力体制を拡大していくことではないのだろうか。そうして、世界中で格差が縮小されていかなければならない。
それが追求されないで、主観的にグローバル化が拡大していることに問題がある。
だから、今使われている「グローバル化」ということばは、「植民地主義」の代替用語としかならない。
(2019年7月25日、まさお)