遺体を入浴させる女性おくりびと
自分らしく死ぬために
2008年に公開された日本映画で、アカデミー賞外国映画賞を受賞した『おくりびと』という映画を知っているだろうか。
オーケストラのチェロ奏者だった男性楽団員が、楽団の解散で職探しをしている。「旅のお手伝い」と書かれた広告を見つけて応募すると、それが納棺師の仕事だったと知ってびっくり。しかし、押し切られて納棺師の仕事に就く。次第にその仕事の大切さを自覚し、充実感を感じていく。反対していた妻や友人などからも納得してもらえるようになり、30年ぶりに対面した亡父を自分で納棺する物語だ。
実は、この作品の原作者も映画監督もぼくの故郷富山県の出身。やはりなあと思った記憶がある。ぼくはこどもの時からいろいろ死に向きあってきたが、富山では納棺がとても大切にされているなあと感じていた。
なぜおくりびとの話をしたかというと、今年春に母が亡くなり、納棺に立ち会うことになったからだ。その時現在、納棺というものがどうなっているのかをまじまじと体験することができた。
まず女性2人が「納棺のために参りました」と、自宅に入ってくる。その女性2人で大きなバスタブを持って上がってくるのだ。そのバスタブが、要介護者を自宅でお風呂に入れるためのバスタブであることはすぐにわかった。
女性2人が、バスタブを軽々と持ってくるとは思ってもいなかった。母は病院ですでにからだを拭いてもらい、髪の毛も洗ってもらっていた。なので、納棺するにはからだをきれいにする必要はもうないのではないかと思っていた。そう話すと、女性の1人が「いや、これから遺体を入浴させていただきます」という。
ぼくはたいへん驚いた。納棺前に遺体を入浴させるのは思ってもいなかった。でもすぐに、ああいいことだと思った。
女性2人は納棺師とその助手。シートを被せたバスタブで遺体を洗い、からだを拭いて白装束にする。きれいに化粧もする。お湯はワゴン車からホースでバスタブに入れ、排水もそのホースでワゴン車に戻す。
遺体もバスタブもかなり重いはずなのに、女性たちは慎重にゆっくりと、軽々しく、すべて手際よく行わなっていた。自宅には石鹸のいい匂いが漂う。
最後に家族と一緒に納棺し、用意されていた花をお棺に入れ、あの世に持参してもらう母の備品を一緒に入れて納棺は終了。葬儀屋で用意されていた刃物も持たせた。刃物を持たせるのは知っていたので、特別驚かなかった。
その後に住職に納棺のお経を読んでもらうのだが、ぼくはどうしても女性の納棺師さんにインタビューしたくなり、帰り際にいろいろ聞いてみた。そのため、住職を待たせて読経を少し遅らせてしまった。
納棺師(おくりびと)としての職業訓練や資格はなく、すべて社内研修で習得したのだという。重労働でもあるので、その辺は日々トレーニングが必要だということだった。
ただこの仕事に誇りを持っており、女性であっても他の納棺師に負けたくないという強い意欲もあると、はっきりといっていた。ぼくはその職業意識に、たいへん感心してしまった。遺体を入浴させるのは、高齢化で重度の病気や障害で長い間入浴しないまま亡くなってしまうケースが多くなっているので、最後はきれいに入浴させて、送るのだという。
いずれにせよ、すべてがとてもきれいな仕事だった。ぼくの気持ちもきれいになり、母とは清々しくお別れすることができたと感じた。そのためぼくはもう、母の死に顔を見る必要がなかった。その時が最後の最高のお別れだと思ったからだ。




ベルリン郊外バウムシューレンヴェークにある火葬場。ドイツ首相府を設計した建築家アクセル・シュルテスとシャルロッテ・フランクの設計。火葬場の建築では、国際的にも注目されている
ベルリンには、故人を亡くなったままの姿で納棺したほうがいいと、化粧もさせない葬儀屋がある。それはそれで、一つの方針だと思う。白装束もなく、家族が選んだ故人の生前の洋服を着せて納棺する。
からだを拭いてもらったり、髪の毛を洗ってもらうのは、特別に要望しないとしてくれないところが多いようだ。納棺に立ち会うほか、最後にお棺を開けてお別れするのも、事前にそうしたいと希望する必要があるようだ。
こちらでは日本と違って、火葬場の順番がくるのを待ったり、土葬するまでに時間がかかり、その間遺体を冷蔵庫に入れておくにもお金がかかる。冷蔵庫に保管するは数日だ。それ以降は追加料金が請求される。ただ常温で保管する時間が長くなると、火葬、埋葬するまでに遺体が傷んでしまうので、そうなっているのではないかと思う。火葬のコストを下げるため、東欧諸国の火葬場に遺体を運んで荼毘にふすもできる。
日本では家族葬にすれば、葬儀のコストを削減できる。しかしこちらでは、露骨にディスカウント葬儀屋と命名している葬儀屋さえもある。事前に葬儀代を貯金するための葬儀保険もある。
ドイツではよく、葬儀にかかわる儀式が、故人を偲ぶよりも残された家族を慰めるために行われるのかなあと露骨に感じる。それに対して日本の儀式は、故人を送ることに重点をおき、それによって残された者を間接的に慰めていると思う。
日本というか、仏教の美徳だと思う。おくりびとはそのためには、なくてはならない。
2025年9月30日、まさお
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関連サイト:
映画『おくりびと』の情報(ウィキペディア)