延命医療に対して考える
自分らしく死ぬために
代理人に対する委任状を公正証書にすると、死期に近くなり、自己判断できなくなった時に備えて、医療措置を事前に指定しておく文書が、委任状に添える場合が多い。その文書をドイツでは、「Patientenverfügung」という。日本語では「事前指示書」とされているようだが、ぼくはその表現自体、どうかなと思っている。
この文書は、自分が死ぬに際し、主に延命医療を望むかどうか、さらに具体的にどういう延命医療をしてほしくないか、自分の自由な意思を伝えるものだ。「事前指示書」では、ぼくにはどうもそうイメージできない。
ドイツ語を直訳すると、「患者意思表明書」になるが、そのほうがぼくにはマッチする。
ただこれは表現の問題なので、それほど重大な問題ではない。むしろ、その中身と取り扱いのほうが重要だ。
というのは、ぼくがこれまで家族や友人の病気や死を見てきて、そう簡単に延命医療とは何か、定義できないと思うからだ。しかし医療関係者に聞くと、延命医療は具体的は何か、はっきりと定義され、区別されているといわれる。
だから、大きな問題ではないといいたいかのようだ。

ドイツの患者意思表明書は、公証人によって公証され、公正証書となっている必要はない。本人の署名があれば、患者意思表明書として認められる。一旦作成して署名した文書は、その後に修正することも認められる。
心肺蘇生、人工呼吸器の装着、血液透析、抗がん剤の使用、抗生物質の使用、胃瘻、輸血などが、延命医療として挙げられ、それぞれを終期ないし自分で判断できなくなった時に希望するかどうかの意思を表明する。
さらに痛みの緩和、水分と栄養分の補給、臓器の提供について、自分の意思も表明する。
ただこれらを一括して、延命医療を拒否するだけでは不十分。それぞれの医療措置に対して、自分の意思を表明しなければならない。
ただぼくの経験からすると、これらの中には場合によっては救命措置となるものもある。これらを一概に延命医療としてすべてを拒否すると、救命できなくなってしまう場合もあると心配になる。
その辺の判断は、紙に書いておくだけでは、うまく伝えようがないのではないか。それが心配だ。その時々の判断は、その時、その時で違うのではないか。ぼくはそう思っている。
ぼくの友人は、こういう延命医療を拒否する制度があるばっかりに、脳梗塞となった後にからだに管をつけられるのを拒否し続けた。そのため、医師はそれが本人の意思だからと、いずれすべての管を取り外す決断をしなければならなかった。
その時友人の代理人は、本人に生きる意思をもたせようといろいろ試してみた。しかし脳梗塞になったというだけで、友人は回復して、社会復帰できる見込みはない、だから早く死にたいと思ってしまったようだった。
ぼくは、友人の場合しっかりリハビリをすれば、かなり社会復帰できると思っていた。しかし友人は、頑なに医療を拒否して死を選んだ。ぼくは、延命医療を拒否する制度があるばっかりに、友人が医療をすべて延命医療だと思い込んでいたからではないかと思っている。
ぼくが全権を委任されていた友人の場合は、延命医療はいやといっていたのに、委任状に添えてある患者意向表明書を見たら、確かに延命医療は拒否するとなっていたが、人工呼吸器の装着と透析、輸血、抗生物質の使用を希望するとして、心肺蘇生だけが拒否されていた。
それを見てから、友人にどうしてかと聞いたら、公証人にそのほうがいいといわれたからだという。
ぼくがその時に同席しなかったのもまずかったが、それでは公証人が、医療措置のことをよく知らない友人を誘導したのと変わらないではないか。友人の意思は、本当にそこに反映されたのか疑問に思った。
延命医療を認めるか認めないかは、医療のことをよく知らない一般人が、自分で判断するにはたいへん難しい問題であることもわかる。
その友人はその後、末期ガンの疑いで大学病院に検査入院した。だがその時、大学病院の医師は委任状と患者意思表明書を見ようとはしなかった。検査入院とはいえ、大学病院は医療を施すことを使命にしているので、そのための検査をすることだけを考え、患者の意思を確認しなかった。
高齢な友人は検査、検査で、体力に限界がきた。それでようやく、もうダメ、助けてとぼくに電話をかけてくる。コロナ禍で、代理人のぼくは病院に入れなかった。ぼくは友人に、病院に対してもう体力が限界だから、検査はもう無理だとはっきりいいなさいとアドバイスした。友人はそれを、すぐに看護師に伝えた。
そこで病院側ははじめて、本人の意思を感じ取ったのだった。それまで病院の医師は、本人の意思を確認しないまま、強い抗がん剤治療をするつもりで、適切な抗がん剤を選択するために検査を続けていた。
それなら、患者意思表明書は何のためにあるのかといいたくなる。
ぼくは、延命医療を拒否する。しかし延命医療をするしないも含め、連れ合いに全権を委任するつもりだ。委任状にはそれだけを書いて、終期の医療に関する実際の判断は、連れ合いにすべて一任するつもりでいる。ぼくは患者意思表明書のことでいろいろ見てきて問題に思っているので、患者意思表明書をつくるつもりはない。
ぼくは死んでいくとしても、連れ合いがどう思うかを尊重したい。ぼくを延命させるかどうかは、連れ合いの気持ち次第。連れ合いの思う通りにしてもらうのが一番だと思っている。
2023年10月16日、まさお