2023年7月04日掲載 − HOME − 脱原発一覧 − 記事
脱原発までの稼働期間を32年としたのはなぜか

ドイツでは、原子力法に係る問題や法的な解釈などに関して、毎年法律の専門家が集まってシンポジウムが開催されていた。そこでは脱原発に関しても、それに伴う法的な問題などが議論された。


しかし法律の専門家の間において、脱原発を法的に規定した場合の解釈や問題について意見が一致していたわけではない。


2000年にドイツ政府と電力業界が脱原発で合意したのは、政府が法的権力によって脱原発を規定した場合、それに対する損害賠償請求訴訟が起こることを恐れたからだった。


脱原発合意において一番のポイントになったのは、原発の稼働期間をどの程度認めれば、電力業界と脱原発で合意でき、損害賠償請求訴訟も回避できるかということだった。


たとえばボン大学公法研究所のオッセンビュール所長(当時)は、法的に脱原発を規定するのは違憲で、いかなる条件においても損害賠償請求権が発生するとした。


ドイツ南西部のバーデン・ヴュルテンベルク州政府の依頼で鑑定した国家法の専門家であるシュミット・ブロイス氏によると、脱原発と再処理の禁止は、憲法で保障されている所有権保護と職業選択の自由を侵害するもので、損害賠償請求権が発生するという。


それに対して、憲法から見た原子力法の解釈を専門とするビンゲン工科大のゲルハルト・ロラー教授は、脱原発法施行後5年以内に原発を最終停止させるのも可能とする。しかし建設された原発の価値を配慮して、稼働期間として15年から25年を目安にすべきだとした。


環境技術の公法を専門とするカッセル大学元教授のアレキサンダー・ロースナーゲル教授は、原子力の利用は憲法上も、国際法上も義務付けられていないとする。そのため脱原発の基盤になるのは、原発の安全性評価の結果であり、便益を得る関係者の間で釣り合いがとれた形で段階的に脱原発して、脱原発という新しい秩序に移行すべきだと提案した。


法曹界において、これだけ意見が異なる状況において、政治がどう対応すべきかは、とても難しい問題だった。


当時の中道左派シュレーダー政権では、首相を出す社民党が稼働期間として20年から30年を目安にして交渉すべきだという立場だった。社民党と連立する緑の党は、稼働期間25年を基準にして、それを超える原発は即時停止、残りは5年以内に停止すべきだと主張した。


それに対して電力業界は、稼働期間35年を認めてもらわないと困ると、最低35年に固執した。


最終的に、政府と電力業界は稼働期間として32年で妥協するわけだが、それはどうしてだったのか。


原発は通常、29年くらいかけて減価償却される。そのため減価償却しないまま原発を停止すると、投資額が回収されず、会社側に損失が残る。それに対して減価償却後も運転すると、発電した電力はそのまま利益をもたらす。


つまり減価償却前に脱原発すると、たとえ会社側が脱原発で合意しても、株主が黙っていない可能性が高い。減価償却後にある程度の期間、会社側に利益が出るようにしないと、脱原発に合意した会社首脳が資産損失をもたらしたとして、株主によって訴えられる可能性もある。


それでは、脱原発はなかなか確定しない。


そのため、減価償却に必要な年月に加えてそれを1割増しにして稼働期間を規定し、会社側に利益が出るようにする。それによって、お互いが妥協できるようにした。それが、稼働期間32年という妥協案だった。


2000年の脱原発合意はいろいろ見ると、妥協の産物なのだが、それによって脱原発を確実なものにしたともいえる。


(2023年7月04日)
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関連サイト:
ドイツ政府と電力会社の脱原発合意書(ドイツ語)
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