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2000年6月にドイツ政府と電力業界が脱原発で合意した内容はすでに、前回まとめておいた。
ここで注目しなければならないのは、ドイツ政府がなぜ、電力業界と脱原発で合意する道を選んだのかだ。
1998年秋の連邦議会選挙において、緑の党は脱原発を選挙スローガンにしていた。党内部ではすでに、政権入りに備え、脱原発を法的にはっきりと規定するための法案が用意されていた。
緑の党はそこで、政権入り後5年以内に、すべての原発を最終停止させることを計画していた。
それに対して社民党のシュレーダー首相候補は、超党派で電力業界とともに将来のエネルギー政策を検討するためにはじまったエネルギー・コンセンサス会議において、電力業界と脱原発で合意するべきだとの立場だった。
政権を握ることになる社民党と緑の党は連立協議の結果、エネルギー・コンセンサス会議において最初の1年間で電力業界との間で脱原発で合意することを目標とし、その間に合意できなかった場合、法的に脱原発を規定することで妥協する。
電力業界との交渉は、緑の党のトリティン環境大臣を中心にはじまった。しかし交渉はまったく、進展しない。そのためシュレーダー首相自らが直接電力業界と交渉することになり、2000年6月に合意が成立する。
シュレーダー首相はなぜ、脱原発で合意することに固執したのだろうか。
シュレーダー首相は法務省をはじめ、法律の専門家に法的権力によって脱原発を強制することによって発生するリスクについていろいろ検討させていた。
憲法上、原発を含めた産業プラントにはいったん運転許認可が出されると、永久存続権が認められる。ただこれは、永久運転権ではないので注意してほしい。運転に対する許可は、定期的な安全性審査を基盤とする。
それに対し、国には市民の健康を保護する義務もある。コロナ禍でも問題になったが、脱原発においても経済(ここでは産業プラント)の存続権と市民の健康権のどちらを優先するのかが問題となる。
しかし憲法はいずれも同等の権利とし、どちらを優先すべきかを規定していない。状況に合わせ、適宜判断することが求められる。
シュレーダー首相が恐れていたのは、この点だった。たとえ法的に脱原発を規定しても、電力会社は資産没収だとして損害賠償を求めてくるのは間違いない。そのための訴訟は、最高裁までいって争わなければならなくなる。そこで負けると、政府に莫大な損害賠償義務が発生する。
脱原発が確定するまでに長期化する上に、裁判で最終的に脱原発が認められないことも心配される。それでは原発は止まらない。
もう一つの問題は、たとえ法的に脱原発を明記しても、政権交代によって脱原発法がいつ、改正されてもおかしくないことだ。それでは脱原発に関して、法的な安定性を維持できない。
これらの問題を考え、シュレーダー首相は脱原発を実現するには、電力業界と脱原発で合意するのが最短で、最善の方法だと判断したのだった。
シュレーダー首相の判断は、先見の明があったともいわなければならない。
フクシマ原発事故後、当時のメルケル首相は自ら延期した脱原発の時期を元に戻し、脱原発を法的に確定させた。しかしそれによって、州政府と連邦政府に損害賠償義務が発生したことを忘れてはならない。政府に損害賠償義務があることは、憲法裁判所も指摘し、政府は損害賠償を余儀なくされた。
(2023年6月27日) |