これ、危ないぞ!
1930年1月23日、ヴィルヘルム・フリックがテューリンゲン州の内務大臣となりました。ヴァイワール共和政時代のことです。ドイツでナチ党から選出されたはじめての大臣でした。
フリックはその後すぐに、国家の敵として禁書政策を行うほか、退廃芸術家やユダヤ人を排除します。1933年前に強制収容所を設置したものフリックでした。
ヒトラーが1933年にドイツの政権を握ると、フリックは内務大臣としてベルリンに呼ばれます。
ここまでの過程は、すべて民主主義上の手続きに基づいて起こったことでした。それが、戦後のドイツの教訓になっています。
あれから90年が経ちました。
同じテューリンゲン州の州議会では2020年2月5日、保守政党「キリスト教民主同盟(CDU)」とリベラル政党「自由民主党(FDP)」、極右政党の票を得て、州議会(90議席)において5議席しか有しないFDPの議員団長トーマス・ケメリヒが州首相に選出されました。前代未聞の事態でした
保守、リベラルの議員たちは、左翼党の前州首相を再任されるのを阻止したかったといいます。
極右政党とは、「ドイツのための選択肢(AfD)」のこと。今回のドラマは、そのAfDの中でもさらに極右のビヨーン・ヘッケ議員団長の策略でした。ヘッケは、裁判所が「ファシスト」と呼んでも問題ないと認めた人物。CDUとFDOはヘッケの策略があると知りながら、権力を握るため、ヘッケの策略に相乗りして、左翼党の州首相を阻止したのでした。
これにより、戦後はじめてドイツにおいて極右政党の票によって州首相が選出されるという歴史的な事態が起こりました。各党はこれまで、極右政党AfDとは絶対に協力しないといってきました。それだけに、これは完全な「タブー破り」でした。
今回の事態も、民主主義の手続きに基づいて行われました。それによって、極右政党の権力や発言力が拡大することに加担したといわなければなりません。その結果選出された州首相は、極右政党に依存しないと、州首相として政治を行うことができません。
ナチス台頭の過去の教訓が、まったく無視されたのでした。
ドイツでは各地で、すぐに反対デモが起こります。ベルリンのCDU本部やFDP本部の前にも、反対する市民が集まりました。
翌日、ケメリヒ新州首相が辞任を表明。その2日後の2月8日に正式に辞任しました。
今後、テューリンゲン州の政局がどうなるか、まだはっきりしません。国政レベルでは、再選挙が要求されています。しかし、州のCDUがそれに反対しています。今回の事態により、再選挙になると、議席を大幅に減らすことになるからです。
いずれにせよ、左翼党のラメロウ前州首相が再任されるのは間違いと思います。
でも、それで事態は収束したのでしょうか。
そうは思いません。民主主義の手続きによって再び極右政党をのさばらせたという事実は、ドイツの歴史からもう消えることはありません。ヒトラー台頭の過去が、現在繰り返されようとしています。
ぼくはこのブログで、今1930年代のように危ない時代になっていると書いたことがあります。今、本当に同じことが再び起ころうとしています。
過去の教訓はどこにいったのでしょうか。
(2020年2月09日、まさお)
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