ぼくはことばが苦手で大嫌い

 久しぶりに、ことばについて書きます。そのきっかけは、今年数年ぶりに、日本から福島県の高校生たちがベルリンにきたことでした。

 福島県の高校生が震災体験を英語でスピーチする会に、友人のセバスチャンを誘いました。終わった後、セバスチャンから聞かれます。

 日本の高校生たちは、ぼくの簡単な英語でさえ、まったく理解できない感じがした。ディスカッションもできないのは、どうしてなのだ。

 高校生がスピーチする英語は、事前に何回もチェックが入り、高校生たちはそのテキストを暗記しているか、あるいは原稿を読んで話します。そのため、英語でスピーチをするのは、それほど問題ではありません。

 ただ、英語を聞いて話すとなると、そうはいきません。スピーチの後小グループに分かれて、ディカッションしました。ところが、高校生たちは英語を聞き取れないし、話せないので、ディスカッションにはなりません。

 それは、今回に限ったことではありません。これまで過去においても、福島県の高校生たちがドイツの高校生たちと、震災のこと、政治や歴史について英語でディカッションするのも、うまくいきませんでした。

 一つに日本の高校生たちは、第二次世界大戦当時の日本の歴史のことをほとんど知りません。日本の今の政治のことも知りません。それに対して、ドイツの高校生はナチス時代のこと、今の政治の状況もよく把握しています。

 もう一つの問題は、日本の高校生には、自分の考えをはっきりという訓練がされていないことです。そういう習慣もありません。それに対して、ドイツの高校生は学校の授業において、自分の考えや意見を積極的に発言しないといけません。そうしないと、いくら試験の成績がよくても、通信簿ではいい成績がもらえません。

発言するために手を挙げるドイツの高校生たち

 こういう学校教育の差も、日本とドイツの高校生の間でディスカッションが成り立たない背景になっています。

 ぼくは中学、高校と、国語と英語が大嫌いでした。成績もよくありませんでした。一つに英語が、文法中心の授業だったことです。英語では文法といえど例外が多く、論理的ではありません。そのため、こういうのだと暗記しなければならなかったのが、たいへん苦痛でした。

 国語では、テキストを解釈するのに、解釈が多様になって当然だと思うのですが、多様な解釈は認められず、こう読みなさいと決まっていることが、不思議でなりませんでした。決まった読み方をすれば成績がいいし、そうでないと成績は悪くなります。それは、画一的な教育にすぎません。それでは、多様な人格は生まれません。

 それが、とても不思議でした。おかしいとさえ、思っていました。

 もう一つ国語がいやだったのは、日本語をどう使うかが、自分と相手方の関係によって決まることでした。たとえば、自分のこと、相手のことをどう表現するかは、相手が友だちなのか、先生なのか、親なのかによって決まります。

 それが、ぼくにはとても負担でした。それができないと、「状況が読めない」などどいわれます。

 こうしたことが、ぼくにとってこどばの壁になっていました。とても苦痛に感じていました。

 それから解放されたのは、ドイツ語と接してからです。ドイツ語を習得しようと思ったのは、当時の友人がフランス語をやっていたからだけの話。その時は、英語の二の舞にならないようにとだけ心がけていました。そのため自分を、できるだけドイツ語を使わなければならない状況に追い込みました。

 ドイツ語を使うアルバイトをするほか、早い段階でドイツ語の翻訳の仕事をするようにしました。ドイツ語では英語と違って、文法がしっかりして論理的なので、そういうのだと暗記する必要がないのも、暗記が苦手のぼくには、とても助かりました。

 英語と違い、かなり早くドイツ語で話せるようになりました。ドイツにはそれまでまったくいったこともないのに、東ベルリンで日独翻訳の仕事をする職まで見つけてしまいました。ぼくはその時、はじめて旅客機に乗って日本から脱出します。

 ぼくの仕事場は、東ベルリンのホテル建設現場。技術的なことはまったく、ゼロから習得しないといけませんでした。現地では、日本で学んだだけのドイツ語がすぐに役立つとは思っていませんでした。案の定、その通りでした。東ベルリンではベルリン訛りで話す人が多く、ぼくにはまったく聞き取れません。

 仕事で必要なドイツ語は、仕事とともに習得していきます。しかしここで、新しいことばの壁にぶち当たります。

 仕事では、ドイツ語を使って何とか翻訳や通訳ができるようになりました。しかし日常生活では、ドイツ語がなかなか使えません。買い物や世間話ぐらいは、何とかなりました。しかし、社会主義体制と体制の違う現地の社会のことや、現地で暮らす市民の生活に関して、ぼくはまったく無知でした。それでは、いわれていることもよく理解できません。さらにそれまで、自分の考えや、思うことをドイツ語で話す訓練ができていなかったことも致命的でした。

 何語で話すにしても、自分で話したいことがない限り、コミュニケーションはできません。相手に何を伝えたいのか、それをどう伝えるべきなのか。頭の中が真っ白になっていました。ぼくはどうコミュニケーションすればいいのか、どうしていいかわからないでいる自分に気づきました。

 ドイツ人の友人たちと一緒に食事をしても、話についていけません。自分で考えて話のきっかけをつくろうと考えているうちに、話は次に展開してしまっています。そうなると、もう話せません。ぼくは、苦渋な時間を続けていました。

 ことばを使って話すには、自分の考えをしっかり持っているほうがいい。自分で何かを伝えたいという気持ちがない限り、話ができないことにはじめて気づきます。

 それが問題であることは、すぐにわかりました。しかしドイツ語でそうできるようになるまでには、かなり時間がかかったと思います。外国語でディスカッションできるようになるまでには、日本語で話す以上に、この問題のハードルは高いと思います。

 日本の高校生たちの英語を見ていて、日本の高校生たちも、ぼくの当時と同じ問題を抱えていると思います。それを日本の教育のせいにしてしまうのは簡単です。

 日本では、本心をいわない、本音をいわないのが、美徳とされているところもあります。でもそれでは、国外においてはコミュニケーションになりません。ディスカッションもできません。

 それをはっきりと認識し、自分の頭の中に自分の考えをはっきりとイメージできるようにならなければなりません。学校教育のだけのせいにしないで、自分でそうできるように訓練することも必要です。

 福島県の高校生たちにとり、ドイツにくるのはそれに気づくいい機会だったと願っています。

(2022年8月19日、まさお)

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関連サイト:
英語講師大西泰斗さんのブログサイト

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