ナチス時代サッカーの遺産

 今年2024年6月14日からドイツにおいて、サッカー欧州選手権が開催されます。それを機に、ベルリンのオリンピック公園内にあるドイツ・スポーツ・ハウスのホールにおいて、『スポーツ、大衆、権力(国家社会主義におけるサッカー)』という小さな展示会が開催されています(2024年7月31日まで)。

 1936年のベルリン・オリンピックは、ナチスの下で開催された政治的なオリンピックでした。オリンピック公園内には、オリンピックスタジアムなど当時の施設がまだたくさん残っています。

 展示会は、ナチス時代のサッカーの状況を中心に、現在までのサッカーと政治の関わりをテーマにしています。

ベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所の点呼場に設置されたサッカーゴールの写真(展示会の写真から)

 展示会で驚いたのは、強制収容所においてサッカーをすることが認められていたことです。ろくに食べるものを与えられていない囚人に、サッカーするだけの体力があったとは思えません。ボールをどうしたのか、選手をどう集めたのかも不思議です。

 強制収容所の囚人には階級があり、食事班やその他革製品の製作(その皮でボールをつくれた)など強制労働をさせられていた囚人がサッカーを楽しむことができたのでした。彼らは、それなりに食事を与えられていた『優遇囚人』で、サッカーをできたのは囚人の特権だったともいえます。

 強制収容所には毎日朝晩に集合しなければならない広い点呼場があり、そこでサッカーを楽しむことができました。

再現されたユダヤ人サッカーチームのユニフォーム

 ナチス時代、ユダヤ系と労働者系、カトリック教徒系のサッカークラブが禁止されていました。展示会では、禁止されていたサッカークラブのユニフォームが再現され、展示されています。

 排除されたサッカークラブのユニフォームの後ろに、当時のサッカークラブの定款の事例がいくつもモニターで見れるようになっています。そこで目につくのは、サッカークラブのクラブ会員になるための条項として、アーリア条項があったことです。

 アーリア条項というのは、会員になるには、白人でなければならず、ユダヤ人であっても会員になれないという規定です。現在世界中にサポーターを持つドイツのサッカークラブであるバイエルン・ミュンヒェンやボルシア・ドルトムントの定款にも、アーリア条項がありました。

展示場真ん中に設置された4つのパネル

 展示場フロアーの中心にそれぞれ、「サッカーが中立だったことはない」、「スポーツは参加と排除の両方を進める」、「人種差別と反ユダヤ主義は現在まで社会に浸透している」、「人間には、行動する自由な選択権がある」と書かれたパネルが設置されています。

 今回サッカー欧州選手権に参加するドイツ代表チームでは、選手の3分の1が移民系選手です。昨年、移民系選手14人が代表チームでプレーしました。移民系選手なくして、強いドイツ代表チームはありえません。

 ドイツ公共放送(ARD)が欧州選手権前に、サッカーの移民系選手をテーマとしてドキュメンタリー番組を制作しました。その時に行われた世論調査によると、調査に回答した人の21%が代表チームにもっと白人選手がいたほうがいいと答え、17%の人が代表チームの主将がトルコ系選手であることを残念だと答えました。

 ナチス時代の白人至上主義が今も、サッカーに残っている現実が見えます。

 世論調査はドキュメンタリー番組の取材中、一般市民から人種差別的な発言が続いたことからしたものでした。しかしこの世論調査をしたことが、代表チームの選手や代表監督から批判されます。確かに代表チーム内では、移民系であろうがなかろうが問題はありません。代表チームが強いことが、最優先されます。地元で開催される欧州選手権で勝ち残るために準備している時期に、今更政治的なテーマで邪魔をされたくない気持ちもわかります。

 しかし問題は、世論調査自体ではありません。サッカーを巡るドイツ社会の現実に問題があるのです。そのことを忘れてはなりません。

 過去においても、移民系代表選手が国歌を斉唱しないと批判されました。現在、移民系選手も斉唱するようになっていますが、それは本心からなのでしょうか。それとも、批判されたくないからなのでしょうか。

ナチス時代のハーケンクロイツをプレートで隠して使われていたドイツ・カップ杯の昔の優勝杯(カップ)

 展示会にもう一つ、おもしろい写真がありました。それは、ドイツ・カップ杯の優勝杯(カップ)です。上の写真は、当時のカップを3Dプリンターで再現したイラストです。そのカップの真ん中下で、ハーケンクロイツが「DFB(ドイツサッカー協会)」と書かれたプレートで隠されています。

 戦後直後はまだ、ナチス時代に使われていたカップがハーケンクロイツをプレートで隠して、そのまま使い続けられていたことを示すものです。現在のカップはその後に新しくなったものですが、戦後直後はまだ目につくものをプレートで隠しただけで、表面的にナチスを排除して取り繕っていたということです。

 人々の中身、心はどうなったのでしょうか。それを忘れて、スポーツはありえません。しかしドイツの社会を見ると、カップと同じように依然として、一部にハーケンクロイツを隠しただけの社会があります。白人至上主義のナチス時代の遺産が、そのまま残っているといわざるをえません。

 展示場の真ん中にある4枚のパネルの一つに書かれていたことが、思い出されます。そこには、「人間には、行動する自由な選択権がある」とありました。一人一人が判断して、サッカーはどうあるべきかをよく考え、判断してほしいものです。

 そうしないと、サッカーも社会も変わりません。

(2024年6月04日、まさお)

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関連サイト:
『スポーツ、大衆、権力(国家社会主義におけるサッカー)』の公式サイト(ドイツ語、英語版もあり)

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