同性婚で社会が変わるって本当か
日本の岸田首相は、同性婚を認めて制度化すると「社会が変わってしまう」と発言しました。
ぼくの友人、知人には、性的少数者(LGBTよりいいかな)が何人もいます。男性同士のカップルもいれば、女性同士のアップルもいます。シングルもいます。異性愛から同性愛に変わったケースもあります。その逆のケースもあります。
ぼくは以前よく、南チロルで山歩きをしていました。仲間には、同性愛者もいました。その時、男性の同性愛者と二人きりで山小屋の部屋で寝たこともあります。まったく問題ありませんでした。日本には、「同性愛を気持ち悪い」とした国家官僚もいました。ぼくは、同性愛者を「気持ち悪い」と思ったことはありません。
みんな同じ人間です。
ぼくの友人、知人の中で正式に同性婚したのは、男性同士の1カップルだけ。同性婚をしたのは、二人が高齢で、重病で入院したり、死亡した時に備え、正式に婚姻しておいたほうが無難だと判断したからでした。
二人はもう長く、一緒に暮らしています。特別に、婚姻する必要はありませんでした。しかしどちらかが入院すると、婚姻していないと、容態を伝えてもらえません。死亡した時にも、後片付けや相続で問題がおきます。
それで、二人は婚姻届を出すことにしたのでした。この問題は異性愛カップルであっても、婚姻していないと起こります。
二人はとても、いいカップルです。二人ともやさしいし、趣味もいい。家庭内での役割も、しっかり分担されています。ぼくたちも、あういうカップルでいたいなあと思うことがよくあります。
ぼくはそれで、社会が変わったとは思えません。むしろぼくの価値観が、とても多様で、広くなったと感謝しています。

ドイツでは、1872年に施行したドイツ帝国の刑法175条によって、男性同士の性的行為が犯罪になっていました。同性愛を法的に犯罪行為として、規制したのでした。175条が刑法から削除されたのは、ドイツ統一後の1994年になってからです。
それによって、同性愛と異性愛の性的行為に差がなくなりました。それは、統一ドイツの法規制が西ドイツ法を基盤にしたからでした。
東ドイツにおいてはすでに、1988年に同性愛を規制する条項が刑法から削除されていました。東ドイツ最高裁は前年の1987年に、「同性愛は異性愛と同様、性行為の一つである。同性愛者は社会主義社会の枠外にいるわけではない。市民権は他の市民に対するのと同様、同性愛者にも保証される」といい渡しました。それとともに、それまで同性愛規制によって下された有罪判決をすべて破棄しました。
同性愛者の基本的人権は200年以上経て、ようやく回復されたのでした。
それで、ドイツ社会は変わったでしょうか。社会生活はまったく変わっていないと思います。
変わったのはむしろ、人の意識だと思います。人に対する意識が広がり、より寛容に、健全になったと思います。そのために200年以上も要したのは、とても残念な話です。
世界全体を見渡すと、性的少数者に対してはまだまだ偏見があります。たとえばロシアやポーランドなど旧社会・共産主義国のほか、中東のイスラム教徒国などにおいて性的少数者が差別され、迫害されています。日本も、それに属しますね。
社会は画一的な社会よりも、多様性のある社会のほうが民主的で、安定します。日本はこの点について真剣に考えて、意識を変えないと、世界の流れから完全に孤立し、取り残されていきます。
(2023年2月20日、まさお)