地道な市民

資本主義に都合のいい社会造り

 前項で、産業化で発生する環境汚染などのコストが外部コストとして、税金で負担されていることを書いた。本来産業が負担すべきコストを市民が支払っているということだ。

 逆に、社会において誰もが必要とし、公共性の高いものが、民営化という名の下にコマーシャル化され、産業化されている。公共性の高いものは、本来社会が連帯して、社会で共有すべきだ。それが、効率や経済性を高めるという名目で民営化され、民間企業が経営リスクもなく、安定して莫大な利益を上げることができるようにされている。

 たとえば、水道、公共交通、鉄道、電気の配電、電気通信、特に都市の住宅などだ。

 これらは、市民が生活する上でなくてはならないインフラストラクチャーだ。公共サービスといってもいい。全国においてそれが均等に整備されていないと、憲法でいう平等はない。市民がどこで暮らしていようが、都市であろうが、田舎であろうが、これらのインフラストラクチャーが同じように使えなければならない。

 それが均一に整備されていないから、人口の集中と過疎が起きる。本来、国家はそれを整備するためにあるものだ。そこに経済の競争論理が入ると、採算性のないものは切り捨てられ、不均衡が起こる。

 そうなると、市民の自由は制限され、社会に平等もなくなる。民主主義は資本主義の資金力に影響され、民主主義が成り立たなくなる。

 でもこれまで財政難と効率性を理由に、公共サービスが民営化されてきた。資本主義が公共サービスで甘い汁を吸えるように、社会構造が整備されてきたといってもいい。

 でも今、ドイツなどでは公共サービスをまた公営化したり、市民が自治管理する方式などが出てきた。

 たとえばここで特に都市の住宅を取り上げたのには、理由がある。資本主義において、都市の中心では不動産が値上がりして一般市民は都市で生活できなくなる。その結果、都市は単なるオフィス街に化して、市民は都市には住めなくなる。それが、都市の空洞化の起こる原因だ。

(2018年11月08日、まさお)

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