押し付け、詰め込み教育は何のため

 「格差を生む教育制度」の項で、経済ができるだけ早く使える人材を求め、経済の求める効率性が教育においても求められると書いた。

 日本の教育が基本的な考えを教えるのではなく、何でもこれはこういうものだと暗記させるのはなぜだろうか。それは、スピードが要求されるからだそれこそが、経済が要求しているものだ。
 
 でも経済界が要求しているのは、今使える人材だ。ここに大きな問題がある。現在技術革新のスピードが速いので、技術は速いテンポで変わっていく。その結果、今使える人材は新しい技術に対してすぐに使えなくなる。

 それは、なぜか。

 暗記だけで基本的な考えを学んでいないから、応用がきなかないのだ。基本的な考え方を理解しておれば、技術が新しくなっても、そこから新しい技術に対応できる。でも、日本の暗記教育では、その変化に対応できない。

 使えなくなったものは、捨てられる。これが、労働市場の論理だ。

 ドイツの学校で学んだある日本人男性が、日本のテストは「パズルみたい」といったそうだ。日本の教育の問題を的確についていると思う。暗記した成果が試されるだけなので、いくつかの選択肢から選ぶだけが試験問題となる。

 経済はさらに人材に、従順であることも求める。それが、日本の教育が権威主義的になっている要因だ。先生のいうことを聞くことは、上司のいうことを聞くことにつながる。

 「縦型社会、圧力社会」の項でも書いたが、こうして日本の教育では日本の縦型構造に入る準備が行われている。そこでは、日本の縦型構造社会が横のつながりを基盤とする現在のデジタル社会に適応できなくなることも書いた。

 こうしてみると、日本の教育は現代社会が進んでいる方向に逆らっているように見える。日本の技術力が低下しているといわれる。その原因が、日本の教育方法にあると思えてならない。

(2019年1月07日、まさお)

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