資本主義社会は、次世代に負担を押し付けている

 前項で、資本主義が豊かさをもたらした源は化石燃料にあると書いた。原子力発電に必要なウランも、そうなのはいうまでもない。

 ただ、化石燃料とウランから電気というエネルギーを得てきた影響もたいへん大きいといわなければならない。

 化石燃料を燃焼させてきたことで、大気汚染が広がり、ヒトの健康と環境に悪い影響を及ぼしている。化石燃料が燃焼して発生する温室効果ガスによって、地球も温暖化している。その結果、異常気象が発生し、海水位が上昇している。今後、住むことができなくなる地域が出てくる可能性がある。

 それによって発生するコストは、社会が負担している。悪影響を発生させている企業は、その負担を追っていない。

 原子力発電によっては、核のゴミが排出されている。原発を廃炉することによっても、核のゴミが排出される。核のゴミを最終処分するために、電気料金の一部が貯金されている。でも、それが十分である保証はない。ぼくは、まったく足りないと思っている。

 核のゴミを最終処分することに関しては、安全に処分する技術がところか、そのための適切な場所があるかもまったく不明な状態だ。

 核のゴミを最終処分するのに、たとえばドイツでは100万年を想定している。100万年先の世代に、それが放射性あり、危険であることをどう伝えるのだろうか。ぼくたちは、数千年前のことばでさえ、まだよく理解できていない。

 そこまで長い間、核物理学のわかる人材をどう確保するのだろうか。

 火力発電と原子力発電は、いずれ終わりを迎える。でもこれらの負担は、何世代にも渡って残っている。そのための経済的な負担も負わなければならない。それで、経済的だといえるのだろうか。

 普通に考えれば、経済的であるはずがない。目先の豊かさだけを追求してきたのが、資本主義だ。でも、その代償は誰が支払うのか。

 後に残された世代だ。

(2019年1月21日、まさお)

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