なぜ国外で生産するのか

 一つの製品をつくるのに、たくさんの国が関わっているのはすでに書いた。これが、グローバル化の一つの特徴でもある。

 でもなぜ、原料段階から消費者に製品が届くまでのサプライチェーンが、これほどまでにグローバル化されてきたのだろうか。

 それによって、経済的に各国の持ちつ持たれつの関係が強化された。各国は、もう連携しないではやっていけなくなっている。それは、平和という点ではいいことでもある。

 でもそれによって、国内で雇用が減り、空洞化しているのも事実だ。

 生産拠点を発展途上国に移転するのは、生産コストを下げるためだとよくいわれる。国際競争が激しいので、労働力の安いところに生産拠点を移転せざるを得ないという論理。

 でも、そのための輸送に使われるエネルギーが浪費され、それによって環境汚染も拡大している。これらの問題を考えると、生産のグローバル化は、全体として本当に安いのだろうかと疑問に思う。

 生産のグローバル化は、生産する発展途上国での労働力がとても安いから成り立っている。その背景には、悪質な労働条件がある。環境基準のハードルが低いから、安く生産できることも知ってほしい。

 これらの問題については別の機会に述べるとして、今回はなぜ安いものをつくるのかということについて考えたい。

 安いもののほうが売れるからに決まっているよ、といわれると思う。

 でも、ここで商品が安いとはどういうことなのだろうか。ここでは、商品を買う時の価格が安いことだ思う。

 でも商品が安いとは、それだけでは判断できないのではないか。商品が割高でも、耐久性があって長持ちすれば、購買時には高くても、商品は全体として長持ちしない商品より安いのではないだろうか。

 でも、商品は購買時に安いということだけで安いと判断される。

 ぼくは、ここにグローバル化する一つの背景があると思う。

 商品が長持ちしては、新しい商品は売れなくなる。それでは、経済が成り立たないのだ。安価で低品質の長持ちしない商品を次から次に市場に出して、消費者に買ってもらわないと、企業は逆に長持ちしない。

 自転車操業するしかない。

 世界は、第二次世界大戦によって破壊された。それによって、世界には何もなくなった。だから、世界は70年代にたいへんな経済成長を体験する。でもそれによって、市民は生活に必要なものを持ってしまったといってもいい。

 でもそうなると、経済はその後どうすればいいのだろうか。経済が成長するには、常に新しい製品を買ってもらうしかない。そのためには、製品は長持ちしてはいけないのだ。

 長持ちしない製品をつくるには、安くていい。品質管理も厳重である必要はない。それなら、安く生産できれるところであれば、どこでもいいことになる。機械の自動化に伴って、ある程度の品質は維持できるようにもなった。

 消費者に安くて長持ちしないものをどんどん買ってもらいしかない経済。ちょっとしたデザインや技術の変化で消費者の目先を変え、必要なくても新製品を買ってもらうようにする。そのために、広告に莫大な経費をかける。

 これが、今の経済論理なのだと思う。それが、生産がグローバル化している一つの背景なのだ。

 そして、それが後で述べるデジタル化の問題にもつながっている。それは、グーグルやフェイスブックが広告収入で成り立っていることを考えるだけでもわかると思う。

 生産は安いところで、広告は消費者のいる工業国でという構図。でも、工業国はもうほとんどものつくりをしていない。

(2019年3月21日、まさお)

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