新たな植民地主義

 前回「なぜ国外で生産するのか」において、生産がグローバル化されるのは、労働力が安く、環境基準などの規制が厳しくないところで製品を安く生産するためだと書いた。

 これは、生産コストをできるだけ下げて、国際競争において負けないためだ。

 その結果、生産地となる発展途上国では、労働者が工業国とは比較にならない安い賃金で、長時間働かされる。工業国では禁止されている毒性の強い化学薬品が使われ、労働環境や自然環境を規制する法規はないに等しい。

 産業のない発展途上国において、労働者たちが生きていくには、自分の健康を犠牲にしてまで働かざるを得ない。子どもたちも、大人と同じように働かざるを得ない。

 その実情に対して、発注主である工業国の事業者は責任を負わない。受注した発展途上国の受注者に責任があると、責任が弱い方に押し付けられる。でも現実は、工業国の発注者は途上国の受注者に破格の安い額で生産することを強要しているから、受注者には過酷な条件で労働を強いることしかできないのだ。

 それを拒否すると、仕事は失われる。

 こうした最悪の労働条件で、バングラデシュの縫製工場で働く女性労働者たちが火事でたくさん死亡したことがある。しかし、縫製を発注したブランドメーカや格安アパレル産業は、事故に対して責任はないと主張した。

 工業国の発注者には、安い生産コストで最大限の利益を上げることしか関心がない。途上国の労働者の命や健康、生活はどうでもいい。結局、責任転嫁して責任逃れの口実を見つけるだけだ。

 この現実を見ると、19世紀と20世紀の第二次世界大戦までに列強諸国が植民地を拡大した植民地主義とどこが違うのかと思いたくなる。

 列強国が政治的に支配して、搾取してきた植民地時代。今は政治的な支配こそないものの、経済権力が独裁的な権力を握って、経済的に強い国が帝国主義時代の列強国のように振舞って、弱い国の経済や規制にまで介入して、労働者に過酷な労働を強いている。

 これを植民地主義といわなかったら、何なのだろうか。

 グローバル化とはきれい事にすぎない。新たな植民地主義がはびこっているだけだ。

(2019年4月05日、まさお)

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