格差とグローバル化
前回、グローバル化が格差を拡大していると書いた。そのベースになっているのがネオリベラリズムだ。ネオリベラリズムでは一つの物差しで白黒に二分するので、格差が余計生まれるとも書いた。
だが、格差があるからグローバル化しているともいえる。安く生産できるところを求めて、生産拠点が移転する。それが、グローバル化する理由だ。それによって、サプライチェーンがグローバル化する。
ものつくりの経済は格差があるから、成り立っている。それが、経済の根本だ。経済において格差がなかったら、物流しないといってもいい。格差がないと、利益も生まれない。
となると、どこに問題があるのか。
格差が大きくなっても、規制しないところに問題がある。格差の拡大を野放しにすると、利益は一方的に資本のあるほうに動く。利益は分配されず、格差が拡大される。
生産地においては、悪い労働条件で働かされ、低賃金で搾取される。でもその中で、生活水準が上がっていくのも事実だ。ただその状態が続くと、安いという魅力がなくなる。となると、生産拠点はさらに安く生産できる地域へ移転していく。
これが、グローバル化が拡大するメカニズムだ。
グローバル化によって資本が一部に集中して格差が拡大する一方で、底辺では格差による生産拠点競争が起こる。その結果、生産拠点は駆け足で移転していく。まず西欧から東欧諸国へ移転し、さらに東南アジアへと拡大したように。
ただここで、一つの疑問が生まれる。
安い生産コストを求め続けるプロセスにおいて、永遠に安い生産拠点を求め続けることができるのだろうか。
移転すると、次に移転するのはどこかなのか。アフリカだろうか。あるいは、シベリアであろうか。でも、さらにその後はどうなるのだろうか。グローバル化の行き先はあるのか。
地球は有限である。いつまでも駆け足で安い生産拠点を求め続けるわけにはいかない。あるいは、生産地域間の格差が小さくなっても、小さな格差を求め続けるのか。それとも、デジタル化による自動化でどこで生産しようがコストの差はなくなってしまうのか。
となると、どうなってしまうのか。
ものつくりをベースとした経済は、格差がないと成り立たないはずだ。そのために、経済は何らかの格差をつくり続けるのか。あるいは、すでにそうなろうとしているが、ものつくりを基盤とした経済はなくなっていくのか。
(2019年6月06日、まさお)
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