SNSの魅力は、誰がもらたしているのか

 SNSなどのソーシャルメディアも、プラットフォームだ。ソーシャルメディア・プラットフォームは、一般市民のコミュケーションを仲介する場を提供する。

 プラットフォームは、コミュニケーションの場に集まってくる市民に広告を提供することで、広告収入を得る。さらにユーザーのデータを集めて、それをビックデータとして転売して利益を得る。

 プラットフォームでは、利用する市民(ユーザー)が多ければ多いほど、広告収入も、ビッグデータ収入も多くなる。

 ここでプラットフォームは、ユーザー同士がコミュニケーションするためのシステムを提供するだけだ。

 プラットフォームに集まるユーザーを集客するプラットフォームのコンテンツは、ユーザーである一般市民自身が投稿することによって作成される。プラットフォームは、コンテンツとは直接には関係ない。

 そしてそのコンテンツこそが、プラットフォームに魅力をもたらしているといってもいい。

 ソーシャルメディア・プラットフォームは、ヘイトスピーチを広める場としても利用される。だがこの問題はついては、別の機会に取り上げることにする。

 ユーザーは自分のアカウントに、広告を掲載することで広告収入を得ることもできる。ただ、それによって十分な収入を得ることのできるユーザーは、ごく一部にすぎない。

 大概のユーザーは、プラットフォームを介するコミュニケーションに魅力を感じ、日々黙々と投稿してコンテンツを充実させる。それによって、ユーザーが金銭上の利益を得ることはない。

 これが、ソーシャルメディア・ビジネスの基本的な構造だ。

 ここでは、ユーザーがコンテンツを掲載することをどう定義すべきか。それが問題になると思う。

 というのは、ユーザーの投稿するコンテンツがプラットフォームの魅力をもたらしているにも関わらず、それに対する見返りがないからだ。

 その結果、プラットフォームによって得られる利益は、プラットフォームを提供するプロバイダーだけに集中してしまう。敢えていえば、ユーザーがプラットフォームを利用する代わりに、タダ働きしているといってもいい。

 コンテンツをもたらすユーザーの投稿行為は、労働だとまではいわない。でもデジタル化社会においては、労働とは何か、見直す時期にきているのではないだろうか。

 そうしないと、プラットフォームの得た利益はプラットフォームだけに止まり、分配されない。このままでは、格差が拡大するだけだ。

 ショッピング・プラットフォームにおいても、ソーシャルメディア・プラットフォームにおいても、それに関わって労働する者は同時に、消費者でもある。だから労働する者に利益が適切に分配されないと、消費者として生活することができなくなる。

 この問題をはっきり認識して、プラットフォームは利益を追求するだけではなく、利益を分配する手法も考えないと、一般市民は収入を得る術を失っていく危険がある。

(2019年10月17日、まさお)

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