デジタル化で雇用を維持、拡大できるのか

 デジタル化に伴い、これまでの労働を定義し直さなければならなくなる。これは、これまで書いてきたプラットフォームに関わる記事からも想像できると思う。

 ホームワーキングによって、たとえば育児や介護しながらの労働も可能となる。でもその結果、個人の生活に労働が入り込み、個人の生活と労働をはっきり区別できなくなる危険がある。この状況は、休暇中に携帯電話で仕事を処理したり、夜間仕事のメールを送受信するなど、すでに現実に現れていると思う。

 デジタル化による自動化で、倉庫内の発送、生産ラインの組み立て作業などはすべてロボットで処理されるようになる。そういう日がくるのは、そう遠いことではない。3Dプリンターによって、製品や部品の製造も自動化されていく。

 交通においても、タクシーや宅配などがいずれ無人自動車やドローンなどに代わっていくのも間違いない。

 介護ロボットの開発も盛んに行われている。

 自動車が電気自動車に代わると、ギアなど半分以上の部品が不要となる。その結果、組み立ての自動化がより進んでいく。同時に、たくさんの部品産業が必要なくなる。

 こうして見ると、これまで雇用をもたらしていた作業が不要になっていくことがわかる。

 この問題を、ドイツの労働総同盟ホフマン委員長にぶつけてみたことがある。委員長は、「現実は、確かにそうだ。しかし労組は、デジタル化が新しいチャンスを生み出してくれると思っている」と話してくれた。デジタル化で、プログラミングの需要が莫大に増えるというのだ。

 確かにそうだ。でも、誰もがプログラマーになれるわけではない。労働者それぞれの能力と適性は異なる。委員長は、「だから、それだけ教育の重要さが増している」ともいう。

 それも、そうだと思う。しかし、過去においても現在においても、教育はすべてのこどもたちに平等に、公平に施されてきたわけではない。親の職業、生活レベルがこどもの教育に大きく反映している。

 これは、長い間誰にもわけっている問題だ。でもこれまで、この問題を改善することができなかった。それが、デジタル化とともに一度によくなるとは思えない。それで、誰もがプログラマーになれるわけがない。

 近い将来、ちょっとしたプログラミングは人工知能(AI)で行われるようになる。その分野は、時間とともに益々拡大されると思う。

 ここでも、人間の労働は必要なくなる。

 こう見ただけでも、わかると思おう。ぼくたちは、もうこれまでのようにものづくりを基盤にして労働していては、生活の糧を稼ぐことができなくなるのだ。となると、ぼくたちはどう生きていけばいいのだろうか。

 いや、ブロッガーやユーチャーバー、インフルエンサーになって、広告収入を得ている人が増えているではないかと、いうかもしれない。それも、誰にでもできるわけではない。それで十分な広告収入を得ることのできるのは、ごくわずかだ。

 以前このブログで、NGOなど非営利を目的とした労働が新たに雇用をもたらすと書いたことがある。それも、一つの手段だと思う。でも、それとて雇用をもたらすには限界がある。

 ものつくり社会が終わるのだから、サービス産業を拡大させて雇用を生み出すしかないともいえる。確かに、社会はこれまでサービス産業化し、雇用をもたらしてきた。

 しかしこの分野においても、前述した事例を見てもかわるように、デジタル化で労働力を維持するどころか、減っていくのは間違いない。

 生活の糧を稼ぐ術がないのだから、ロボットがいくら製品をつくっても、製品を買うことのできる消費者もいなくる。となると、経済は機能するのだろうか。ぼくたちが生きていけるようにするには、どうすればいいのだろうか。
 
 人類はこの現実から、もう逃れることはできないと思う。この現実を思うと、ぼくはベーシックインカムについて考えざるを得ない。

 ただ今回は、問題提起するだけに止め、ベーシックインカムについては後の章でさらに議論することにしたい。

(2019年11月28日、まさお)

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