ミニ大根ができちゃった

 先日、わが家のバルコニーの掃除をした。もう枯れてしまった朝顔やゴーヤなどを片付けなければならなかったからだ。落ち葉もあちこち散らばっている。それも処分しなければならなかった。

 その時、小さなビニールポット(植物を買った時についてくるプラスチックの容器)にミニ大根ができているのを見つけた。びっくりした。大根の苗は、連れ合いが友人からいただいたのだった。それをゴーヤの植えてある深いプランターに入れようと思っていた。それをすっかり忘れてしまっていた。

わが家のバルコニーでけなげに育ったミニ大根

 正直いうと、大根なんかこんなバルコニーでできるものかと思っていたのも確かだ。だから、余計忘れてしまったのだと思う。

 いやはや、大根にはたいへん悪いことをしてしまった。申し訳なかった。陳謝。陳謝。

 小さな容器に入れられながらも、けなげに育った大根。でもそう思うと、このミニ大根はすごい。ぼくは、この立派なミニ大根のすごさを書いておくべきだと思った。

 ビニールポットは10センチ四方の小さなもの。器によって人は変わるというが、植物も同じだ。植物は大きな鉢に植え替えると、すぐにうれしそうな感じになる。これでもっと大きくなれる。よかった。うれしい。

 ところが、この大根は逆だった。土もろくに入っていない小さな容器にいつまでも入れられていた。その容器に合わせて育ったのだ。普通の大きな大根のように大きくなろうと思ったら、枯れていたに違いない。それを、器の大きさと土の量を認識しながら、それに合うように生きて育ってきた。

 自分に与えられた環境をうまく把握していたから、ミニ大根になれたのだ。この適応能力と生命力は、すごいと思う。敬意を表したい。

 でもぼくは、このミニ大根をどうすればいいのだろうか。そのまま枯れるまで待つのか。あるいは、試食するべきなのか。

 大根は食べるために栽培したのだから、食べるほうが大根に敬意を示したことになるのではないか。でもそう思うのは、ぼくという人間のエゴではないのか。でも、すごいミニ大根として飾っておくのもおかしい。それに、いずれ枯れてしまう。

 連れ合いが大根の苗をもらってきたのも、特別バルコニーで栽培して食べるためではなかったと思う。鑑賞するためでもなかったはずだ。栽培して楽しむのが目的だったはずだ。バルコニー担当のぼくのために、一つの楽しみを持ってきてくれたのだった。

 だから忘れてしまっていたとはいえ、ミニ大根でも大根になってくれたのはとてもうれしい。そう思うと、ミニ大根に愛着もわいてくる。

 こうしてあれこれ思っているうちに、ぼくは迷うだけになっている。困った。はて、どうすればいいのか。

2020年12月10日、まさお

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