高齢、病気になった時のことばの問題
自分らしく死ぬために
ドイツなど国外で生活する場合のことばの問題について考えたい。特に、高齢になった時、重い病気に患った時のことだ。
ぼくがこれまでベルリンで暮らす日本人の友人、知人を見てきた限り、ことばの問題はたいへん重要な課題だと思う。
まず、病気とことばの問題から入ろう。
ぼくにはまだないが、重い病気になると、ドイツ語を聞いたり、話したりするのが重荷になる人が結構多い。特に高齢になると、その傾向が強くなるようだ。
病気については専門的なことばも使われるので、それだけ難しい。ドイツでは処方箋で薬をもらっても、日本のように薬の名前と簡単な副作用、飲み方などについて書かれた薬の一覧はもらえない。薬はワンパック毎にもらうので、半錠飲む場合は、自分で破らないといけない。
薬の飲み方と副作用についても、自分でパックに入っている説明書を読んで把握しておく必要がある。日本のように、ちょうど1カ月分の薬が処方されるわけではない。パックに入っている薬がなくなる前にホームドクターのところにいって、新しい処方箋をもらわないといけない。
すべて自己管理が必要だということだ。そのためには、それなりにドイツ語ができないといけない。高齢者や障害者ではその介護度に応じて、飲む薬を1週間分、曜日と朝昼晩毎に分け、薬ボックスに入れておいてもらうサービスを受けることもできる。
日本のように薬手帳がないので、飲んでいる薬の名前は自分で一覧表をつくって保持し、はじめての医師に診察してもらう場合は、その一覧表を持っていく。
ただ法定健康保険ではデジタル化が進み、保険証カードを使って処方箋を受け取り、薬局でカードを出せば処方箋を読み込んでもらえるようになった。そのため、診察する医師も保険証カードから飲んでいる薬のデータを入手することができるはずだ。しかし民間健康保険ではまだ、処方箋サービスがデジタル化されていない。
これからもわかるように、結構ドイツ語ができないと、病気になった時に困ることが多い。自分のドイツ語が診察と治療を受けるには不十分だと思われる場合は、医学用語などもわかる人に付き添ってもらうほうがいい。
重病で意識障害や言語障害がある場合、ドイツ語で語りかけるよりも、日本語で語りかけるほうがわかってもらいやすい。同じことが植物状態や人工的昏睡状態になった場合にもいえ、日本語で語りかけたほうが、反応が起こりやすい。これは、ぼくが実際に友人や知人で体験してきた。

高齢になると、ドイツ語で話したり、聞いたりするのが億劫になるのはすでに書いた。まだその程度ならいいが、ドイツ語で聞いても理解できなくなる場合もある。高齢になればなるほど、ドイツ語の発音がしっかりしていないと、ドイツ人から「ええ、何といったの? わからない」と聞き返されることが多くなる。
ドイツ人の連れ合いが日本語ができると、日本人のパートナーのドイツ語が上達しない場合が多い。そうなると深刻で、ドイツ人の方は高齢になると、日本語を話すのも聞くのも億劫になり、夫婦で日本語でもドイツ語でも意思の疎通ができなくなる。
歳をとると耳がよく聞こえなくなったりするので、問題をより大きくする。
ぼくの知っているドイツ人と日本人の夫婦の中には、高齢になってお互いに会話ができなくなり、一緒に話すことがまったくなくなったというケースもある。
自分はドイツ語が得意で、よくできるので大丈夫と思っていても、高齢になると、どうなるかわからない。高齢で自分の思うようにドイツ語で話したり、聞いたりできなくなったと愚痴をこぼされたことも多い。ことばが出てこなくなると、まずドイツ語のことばから思い出せなくなる。
高齢になっても、自分のドイツ語を維持する努力を怠ってはならないということなんだろうと思う。ただ高齢で、それだけの根気があるかどうかも問題だ。ただそれで実際に効果があるのかどうかも、ぼくにはまだわからない。個人差もあると思う。
いずれにせよ高齢になれば、ドイツ語が達者な自分より若い日本人に世話になることも考えて、人付き合いをすることも必要になる。
2024年10月23日、まさお