代理人を選ぶ
自分らしく死ぬために
自分らしく死ぬためには、事前に代理人を指名しておいたほうがいいことを書いた。そこで問題になるのは、誰に代理人になってもらうかだ。
これは、たいへん難しい問題だといわなければならない。よく考えて人選したい。
とはいうものの、そう簡単なことではない。そこでぼくが代理人をしてきた経験から、代理人を人選する時に注意しておきたい点を以下にまとめておきたいと思う。
まず家族がいる場合は、家族の誰かに担ってもらうのが一番。夫婦であれば、互いに代理人になるのがいい。ただ夫婦の場合、年齢が近い場合が多いので、こども1人を代理人に加え、2人を代理人にしておくほうがいいと思う。
ただしこれは、代理人となる家族が同じ町に住んでいる場合だ。家族がドイツ国内であっても違うところに暮らしている場合は、家族であっても代理人にしないほうがいい。
それは、遠方からくる負担が大きい上、町によって手続きや規則が異なることが多いからだ。代理人はできるだけ地元で、というのを原則にした方がいい。
ましてや家族が日本にしかいない場合、ドイツで暮らす地元において誰かに代理人になってもらうしかない。
家族以外で代理人になってもらう場合、自分のことをよく知っていて、理解している人物がいい。その場合、自分の親しい友人で、同じ年代の人物に代理人になってもらいたいと思う人が多いと思う。
ここで注意しなければならないのは、年齢が近いと、代理人として自分の代わりに判断してもらったり、死後の後始末をしてもらう時に、代理人も高齢で、もうあまり動けない可能性があることだ。
ぼくが最初に後始末をした友人の場合がそうだった。実際に委任状を出して全権を委任していた人物は高齢で動けないので、ぼくがその代理人に委任された形にして後始末をした。
こういう場合、親しい同年代の友人と、それよりは若い人物の2人に代理人になってもらう。そのほうがぼくの最初のケースのように、代理人の代理ではなく、本人が委任した正式な代理人であるので、そのほうが信用してもらいやすい。

この年齢の問題は、たいへん重要だ。代理人を人選する場合によく考えてほしい。問題は、自分が90歳以上も生きると、自分より10歳くらい若い代理人では、代理人ももう80歳を超え、超高齢者になっている。その年齢では代理人として、ちょっと荷がの負担が重すぎ、たいへんだと思う。
代理人を人選する場合、こうした問題も真剣に考えておかなければならない。
ただ、若ければいいというものではない。代理人は、それなりの人生体験を持ち、世の中のことを知っていたほうがいい。というのは、死に関わる問題になると、本人ではなく、その周りの友人や知人から普段だとちょっと信じられないことをいわれたり、信じられないことが起こることがよくからだ。
そういうことにも驚かず、耐えなければならない。
さらに大きな問題は、ドイツ社会が官僚主義的で、融通が効かないことだ。この壁は固く、厚い。ドイツでは、日本のように誰にでも親切に対応してもらえ、わからないことも親切に教えてもらえることはない。
できないものはできないで終わり。それならどうしたらいいかは、自分から聞き出さないと教えてもらえない。それも、そんなことも知らないのかといわんばかりに、ぶっきらぼうに対応されるのがオチだ。
自分から聞き出すには、それなりの知識が必要になる。介護のこと、医療のこと、死後の手続きなど、専門性を問われることばかり。誰も手取り足取り教えてくれない。
ぼくは何回、小馬鹿にされるように扱われたかわからない。そういうことの連続なので、頭にくるし、人間不信になる。特に、銀行の対応が最悪だった。
ドイツの医師に患者のことを考えたインフォームド・コンセプトがないことも、すでに報告した(「ドイツ最先端の大学病院にインフォームドコンセプトはあるのか」)。
代理人になると、こういう状況に晒されるのを覚悟しておかなければならない。代理人には、それに耐えるだけの精神的な強さも求められる。
これは、ぼくが外国人だからそういう扱いを受けたわけではない。ドイツ人であっても、同じように扱われる。
ぼくがここで挙げた点をすべて満たせるような人物は、なかなかいないと思う。そのいくつかの条件でも満たせる人物がいれば、それで幸いだと思った方がいい。
自分の置かれている状況を考え、できるだけ精神的に強く、何が起こっても、それに耐えて対応できる人物に代理人をお願いする。それしかないと思う。
最終的には、なるようにしかならない。どんな形で終わろうが、それで片付くのだ。そう気軽に考えておくのも必要だと思う。
2023年9月26日、まさお
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関連サイト:
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