脱炭素社会にはパラダイムシフトが必要

 日本では、菅首相が就任直後に、2050年までにカーボンニュートラルを実現すると発言しました。日本はそのための準備をまったくしてこなかったので、ちょっと驚かされました。

 カーボンニュートラルとは、二酸化炭素の排出を実質ゼロすることをいいます。それは、CO2をまったく排出しないということではありません。樹木などの植物がCO2を吸収してくれるので、その分に相当するCO2の排出は認め、プラスマイナスゼロにしようというものです。

 それを契機に、脱炭素化に消極的だった日本でもようやく、脱炭素社会への議論が活発になろうとしています。でもぼくには、いろいろ気になることがあります。

 その一つは、日本ではこれまで通りの考え方と社会の構造で、脱炭素社会を実現しようとしていることです。ぼくはそれでは、脱炭素社会は実現できないと思います。

 まず日本では、再エネへのエネルギー転換が進んでいません。日本政府には、本気で再エネに取り組もうという強い意志も感じられません。またエネルギー政策が発電にだけ集中しています。

 ここに、大きな思い違いがあります。

 日本では、「エネルギーを消費する」といいます。これ自体もおかしいのです。エネルギーは消えません。エネルギーは違う形に変換されるだけです。変換されても、エネルギーの総量はいつも保存されます。これは、中学生の時に習いました。エネルギー保存の法則です。

 エネルギーは消費するのではなく、「利用する」ものです。エネルギーを使うとは、エネルギーを変換することでもあります。さらに、その変換されたエネルギーを使うことも考えます。だからエネルギー転換といっても、電気のことだけを考えていてはならないということです。エネルギーは変換されるので、変換に準じて循環して利用します。

 これがエネルギーでは、発電ばかりでなく、熱供給と動力燃料を連携させて考えなければならない根拠です。それを「セクターカップリング」といいます。

 脱炭素社会に向けて、省エネが必要だともいわれます。これは、どうしてでしょうか。脱炭素社会とは、有限な石炭や石油など化石燃料を使わないようにするということです。有限なウランを燃料として、化石燃料と同じように蒸気機関を基盤にして大量の電気を発電する原子力発電も省エネに反します。

 化石燃料をエネルギー源として使うのは、過去に太陽エネルギーによって成長した植物や動物の化学エネルギーを利用することをいいます。ウランも含めて化石燃料を使わないとは、今ある太陽エネルギーしかエネルギー源にしないということです。

ドイツの未来館には、将来の変化を示唆するものが展示されている。写真は、3Dプリンターで製作されたいろいろな部品。

 ただ、誤解しないでください。それは、太陽光発電しかしないということではありません。太陽エネルギーのおかげて、温度差ができて風が発生します。その風を利用して風力発電ができます。バイオマスといわれる植物資源は、光合成によって成長します。光合成には太陽エネルギーが必要です。バイオマスを使えば、発電や熱供給ができます。さらに植物資源で、動力燃料を製造することもできます。

 エネルギーはすべて、太陽エネルギーに由来するということです。だから省エネとは、その太陽エネルギーをより有効に、効率よく使うことだと理解するべきです。

 それに対して、これまで省エネとは、有限な資源をできるだけ長く使えるようにエネルギーの使用量を減らすことが省エネの意味でした。日本では、省エネ製品が進んでいます。でも省エネ製品が普及して、逆にそれによってエネルギーの使用量全体が増えては意味がありません。

 今ある太陽エネルギーを基盤にしてエネルギー供給を考える。それが、将来に向けた脱炭素社会へのビジョンです。今ある太陽エネルギーを利用するには、まず再生可能エネルギーによって発電します。そうして、電気中心の社会と経済を造ります。

 そのためには、電気を有効に、効率よく利用しなければなりません。自動車として、まず電気自動車を優先させます。電気自動車では、電気をそのまま動力源として使うので、エネルギーをより効率よく使うことになるからです。

 その結果、建物は発電設備になり、自動車の蓄電池は電力需要に応じて放電する調整力になります。建物と電気自動車が、電力システムの一部となります。建物と自動車が単なる建物と自動車ではなくなり、マルチファンクションを持ちます。大きな電力事業者は必要ありません。

 ここで、ガソリンやディーゼルを燃料とする今の自動車がそのまま1対1で電気自動車に切り替わると思ってはなりません。電気自動車の台数が増えるばかりになります。それでは、いくら発電しても電気は足りません。自動車の電気自動車化と無人化で、自動車は単なる移動手段に変わります。

 その結果、自動車台数が減ります。いや、自動車の台数を大幅に減らす対策も講じなければなりません。たとえば、移動を公共交通と自転車の利用、あるいは徒歩による移動に切り替えます。自動車中心の社会ではなく、自転車や歩行者にやさしい社会造りが必要になります。

 こうして、交通においてエネルギーの使用量を減らします。脱炭素化では、交通転換がエネルギー転換とセットにならなければなりません。

 こうして見ると、エネルギーの利用が民生と経済、交通という枠組みを超えて、全体でシステム化されなければならないことがわかります。そこに、新しい技術革新のポテンシャルも生まれます。

 社会はこうして、脱炭素化とともに変わります。そのためには、ぼくたちもこれまでの考え方から抜け出し、頭を切り替えなければなりません。

 さてぼくはここまで、いくつのパラダイムシフトについて書いてきたでしょうか。

2021年4月18日、まさお

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関連サイト:
ドイツの環境シンクタンクによる産業をグリーン化するためのスタディ「気候ニュートラル産業」(ドイツ語)

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