マラソン大会を妨害するより、一緒に走ろう

 ベルリーナールフトにおいて、ベルリンのブランデンブルク門にペンキの塗られた写真を載せました(「オレンジ色のブランデンブルク門」)。

 そこでは、ドイツの環境団体の「最後の世代」がこの週末(2023年9月24日)に行われるベルリン・マラソン大会の邪魔をして、妨害する動きがあることについても書きました。

ペンキを塗られたブランデンブルク門へと向かうランナーたち

 最後の世代は、ドイツ各地で接着剤で手を道路に張り付いて道路交通を妨害したり、美術館などで世界的に有名な絵画にペンキを塗るなどして、気候変動の深刻さを市民にアピールしようとしています。

 ベルリン・マラソン大会のような大きなイベントを妨害することで、これまで通りのことをしていては何にもならない、2030年までに脱炭素化を実現しなければならないことを、より多くの一般市民に知ってもらう。そのために行動するのを名目にしています。

 最後の世代の活動家8人は今日(2023年9月24日)の朝、マラソンランナーがスタートする直前、スタート地点から少し離れたところにシンボルカラーのオレンジ色のペンキを撒き散らすほか、路上に接着剤で自分の手を張り付けて、マラソンのレースを妨害しようとしました。

 しかしすぐに、警備していた警官隊らに取り押さえられ、マラソンは予定通り、スタートしました。

 その後は幸いにも、これといった妨害行為はありませんでした。

 最後の世代のこれまでの行動は、道路上で車の移動を妨害して、市民の反発を買ってきました。それによって一般市民が気候変動の問題に関心をもって、政府に迅速な対策を求めるどころか、現実として一般市民は、厳しい環境規制で生活に影響が出ることを恐れ、逆に気候変動対策に反発する市民が増えています。

 最後の世代の活動は、逆効果になっているといわなければなりません。

 ぼくはこれまで、2000年代に6回か7回ベルリン・マラソンに参加し、42.195キロメートル走ってきました。

 35キロメートル地点を過ぎると、疲れがからだに重くのしかかってきます。走るのがつらくなります。頭の中が次第に、真っ白になります。苦しいと思うばかりで、あまり考えられなくなります。

 40キロメートルを過ぎると、ゴールまでベルリンのメイン通り「ウンター・デン・リンデン」に入ります。ブランデンブルク門からゴールへどまっすぐに走りますが、ここが一番つらいところです。

 ブランデンブルク門までは、目の前を横断する通りがいくつもあります。まず一番近い通りまで頑張るぞと、自分にいい聞かせます。その通りを通り過ぎると、目標を次の通りに移します。そうして、まずはA通りまで、次にB通りまで、さらにC通りまでと自分にいい聞かせて、何とか走り続けようとします。

 でも、しんどい!!「頑張れ、頑張れ」と、観衆の声援もすごいのです。ここで止まって、歩いてしまうわけにはいきません。

 ブランデンブルク門が見えたら、ゴールはもうすぐそこ。最後の力を振り絞って、ゴールを目指します。

 なぜ、そんなにつらい思いをしてまで、フルマラソンを走るのでしょうか。

 走りたいからでしょうか。ゴールが目に見えるからか。あるいは、自分の限界を知りたいからなのか。

普段は車の走る道路を走るランナーたち

 マラソンを走りはじめると、麻薬のように辞められなくランナーもいます。

 でもぼくは、普段車の走っている道路上を自分が走っていると思うと、格段にいい気分になります。道路から車を追い出して、道路が、街が自分のものになったような感じ。その爽快感が、何ともいえずいいですね。

マラソンコースの周辺には、車がほとんど走っていない

 道路はその間、ランナーばかりでなく、応援する観衆のものになるのです。マラソンのコースだけではなく、周辺道路も閉鎖され、マラソン大会のある時は、マラソンコース一帯が車から解放され、車のフリーエリアになります。

 車に支配された車社会が、市民のための社会に変わるのです。

 マラソン大会にはこのように、車に支配された日常を変えてくれる効果があるのです。最後の世代はその事実を、まったく見ていないといわなければなりません。

沿道には観衆が声援を送っている

 市民による反対運動でよく見かけるのは、問題は政府の政策であって、自分たちは政府に反対して、政府に圧力をかければいいのだという誤解です。とんでもない話です。

 政府の政策があっても、社会が問題を意識して、政策に積極的に参加して関わっていかない限り、政策は成果をもたらしません。そのためには、政策が社会にやさしいものでもなければなりません。

 単に目標を設定して、厳しく規制するだけの政策では、社会が不安を抱くだけ。社会がついていけません。社会に政策に参加してもらうために、インセンティブも必要になります。

 反対運動は単に反対するだけではなく、社会による政策への参加を促すものでもなければなりません。

 もう一つの誤解は、自分たちの主張だけが正しいと思い込んでしまうことです。市民運動では、自分たちと同じことを主張するグループや活動家との仲間感情が強くなり、仲間内でしか対話しなくなります。その他の意見、あるいは同じ目標を持ちながらも異なる見方をしている人たちの声に耳を傾けたくなります。

 活動が内向きになり、オープンではなくなっていきます。いつも同じ活動家の講演や意見を聞くだけにもなります。

 その結果、活動が妄信的になり、セクト化していきます。市民運動にはいつも、こうしたリスクがあります。最後の世代という環境団体はすでに、セクト化してしまっていると思います。

 それでは、社会、市民の賛同を得られません。それどころか、反発を招くだけです。

 今回のようにマラソン大会を妨害する勇気と体力があるなら、活動家自身が活動のシンボルカラーのユニホームを着て、他のランナーと一緒にマラソン大会に参加するほうが余程、一般市民にアピールする効果があり、賛同を受けると思います。

 一般市民の参加を求めるなら、活動家も一般市民の中に入って一緒に行動するべきです。そうしてはじめて、一般市民もついてきます。

 マラソン大会を妨害するのではなく、市民ランナーと一緒に走りましょう。

 そうして、気保変動問題に関心を持つ市民を底辺から広げていきます。マラソン大会の主催者と一緒に、大会において気候変動問題をアピールするために、協力する可能性も生まれます。

 どちらが創造的でしょうか。どちらが効果をもたすでしょうか。

2023年9月24日、まさお

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関連サイト:
ベルリン・マラソンの公式サイト(ドイツ語版)

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