ぼくはテューリンゲン州格各党代表との会見が終わるとすぐに、長年の友人ペーターに会うためにエアフルト中央駅前に急いだ。
ペーターとは1985年か1986年からの付き合い。ベルリンの壁が崩壊する前の1989年には、ペーターが民主化運動を支援していたので、ペーターを介して民主化運動の集会に参加するほか、運動を支援するため、民主化運動のチラシをぼくの働く工事現場事務所でたくさんコピーして、ペーターに渡していた。
東ドイツでは一般市民に、コーピーする手立てがなかった。印刷していると、秘密警察にばれてしまって危険だ。民主化運動する市民はカーボン用紙でチラシをタイプライターで打ち直して、チラシを複製するしかなかった。それでは1回に、数枚しか複製できない。そういう時代だった。
ペーターは統一後も、ベルリンで仕事をしていた。もう十分に働いたからと早期定年して、1年ほど前からエアフルトにいる家族の元に戻っていた。
その後ペーターとは、メールなどで何回かやり取りがあった。実際に会うのは数年ぶりだった。
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テューリンゲン州の州都エアフルトの街並みから |
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ぼくたちは、中央駅前にあるイタリアレストランの前でビールを飲みながら、久しぶりにいろんなことを話した。ペーターは外見的には、そんなに変わった感じがしなかった。
定年して時間があるから、低所得でそれだけでは生活できない市民のために、食料品や食事を提供するボランティア活動を手伝っているという。
話題は、来る州議会選挙のことになった。
ペーターは田舎にいけばいくほど、ひどい状況だといった。高齢者ばかりの上、医者もいなければスーパーもない。お年寄りはどう暮らせばいいのか。統一後の人の移動で、社会は一世代なくなったような感じになっているという。
エアフルトやイェーナのような都市はまだいい。それ以外の中都市や小都市でさえ、高齢化が進み、産業もない。
ぼくはその状況については知っていたので、どうすればいいのかと聞くと、手の打ちようがないと、ペーターは答えた。
戦争の問題になると、ペーターは戦争が早く終わり、平和になってほしいと強調した。ウクライナへの武器供与にも反対だといった。でもウクライナに武器を渡さないと、ロシアに占領され、独裁制の下でウクライナ語は使えなくなり、発言の自由、文化の自由、移動の自由もなくなるだろう。東ドイツのような時代に戻ってもいいのかと聞いた。
するとペーターは、平和になるなら、それも仕方がないといった。東ドイツの民主化運動で自由を求めて戦ったペーターから、こんなことを聞くとは思ってもいなかった。
ペーターはさらに、気候変動のために一般市民の生活が制限されたり、市民の重荷になってもならないといった。再生可能エネルギーへの転換や電気自動車への切り替えにも反対だといった。ドイツが脱原発したのは間違いで、電気料金を下げるため、原発を復活させるべきだともいった。
原発を復活させても電気料金は下がらないよといっても、聞く耳を持たなかった。自分の孫やひ孫など後の世代に、今ぼくたちが満喫している自然を引き継いでいくのが、今の世代の責任ではないのかと聞くと、確かにそれはどうだ。そういう見方もあるなあというだけだった。
ペーターが数年の間に、こんなに変わってしまっているとは思ってもみなかった。今の社会に対し、とても怒っているのが感じられた。
それは、ペーターに限ったことではない。別の友人ゲルハルトもそうだ。ゲルハルトの社会に対する怒りはペーター以上。今の社会情勢について一緒に話せないくらいだ。ゲルハルトは、民主主義は独裁制と変わらないとまで豪語する。
ペーターやゲルハルトの社会に対する怒りを聞くと、極右政党に投票してもおかしくないと思ってしまうくらいだ。
エアルフトからベルリンに戻って数日後、ペーターから週末にエアルフトであった極右反対デモに参加してきたとメールがきた。そのメールには、ペーターとぼくとの間でほとんどのテーマで意見が違っていたともあった。それはそれで、考え直すきっかけになったともある。
ペーターとぼくの間で、社会の見方が数年間の短い間にこんなに違ってしまっていたとは、ぼくは意外だったし、想像もつかなかった。
今の社会に怒りを感じているのは、ペーターやゲルハルトだけではない。ドイツ東部に見られる一般的な状況だと思う。それがどうしてそうなったかとなると、なかなか的を得た説明が見当たらない。
東西ドイツ統一では、西ドイツの植民地のようになってしまった東部。社会が短い期間に疾風怒濤のように変わってしまった。それに対する不満は強いし、負担は大きい。その中で統一後に勝ち取った今の生活が失われるのではないかという不安も、極端に大きい。
それに加え、戦争による移民の流入と気候変動の影響で社会がまた大きく変わろうとしている。もう自分の生活を変えないでくれと、思おう気持ちはよくわかる。
ただそれだけで、これだけ大きな怒りになるのか。まだ、いろいろ考えてみなければならないと思う。
(2024年10月22日) |