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2000年にドイツ政府と電力業界が脱原発で合意した時、原発を最終的に停止する時期が正確に規定されたわけではない。原子炉毎に後どれだけ発電できるか残発電電力量を規定し、それを使い尽くしたところで最終停止とすることになった。
残発電電力量はさらに、原子炉間あるいは電力会社間で譲渡できるようにした。
つまり、最終停止時期を規定するのではなく、その判断を原発を運転する電力会社の判断に任せたことになる。
それでもだいたい2022年までにはすべての原発が停止するといえるのは、残発電電力量が稼働32年を基準にして換算されたからだ。それまでの平均的な運転状況から判断すれば、それで2022年までに脱原発が実現されると推定された。
しかし残発電電力量を基準にして脱原発するには、利点ばかりでなく、問題もあった。以下では、その問題と利点について明らかにしておきたい。
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脱原発を実現するには、最終的にすべての原発が止まるまで高圧送電網の整備が必要となる |
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まず問題から指摘したい。
原発を停止する時期を原発を運転する電力会社の判断で決めることができるので、電力会社側が残発電電力量を使い尽くさないように原発を止めて、原発を支持する政権に交代するのを待っておれるということだ。
これは、実際に起こったことだった。原発のいくつかで、原発を止めてドイツの総選挙である連邦議会選挙において中道左派から中道右派政権に交代するのを待っていた。2005年のことだった。
選挙の結果、政府は中道右派政権に交代した。新政権はまず、脱原発の時期を延期することで、電力業界と交渉。その代わりに、燃料集合体に核燃料税を課税するとして新しい税収源を設けるなどして、ギブ・アンド・テイクの取引をした。
実際に脱原発時期が法的に延期されたのは、2010年秋だった。その半年後にフクシマ原発事故が起こり、脱原発の延期を撤回することになる。その結果、核燃料税による税収は得られなかった。
それに対し、原発を最終停止する時期を電力会社の判断に任せるのには、実務的な利点もあった。
脱原発では、原発という大型発電施設を止め、小型の再生可能エネルギー発電施設に切り替えていくので、送電網の整備がどうしても必要となる。
ただ原子炉毎に最終停止時期が規定されていると、送電網の整備状況とは無関係に、原発を停止しなければならない。その結果、送電網が不安定になり、安定供給が確保できなくなる心配がある。
それに対し、原発の最終停止時期が電力会社の判断で決めることができると、電力会社は送電網の整備状況を見ながら、原発の運転計画を柔軟に変えていくことができる。その点で、送電網が不安定となるリスクを電力会社側の判断で回避できるという利点があった。
それが、フクシマ原発事故を機に原子炉毎に最終停止する時期が法的に規定された。その結果、電力会社は原発の最終停止時期と送電網の整備をリンクさせて、柔軟に対応できなくなるという問題が発生した。
メルケル政権による2011年の第二次脱原発決定では、最終的な脱原発時期となる2022年に向けてより多くの原発を停止することになっていた。その点で、フクシマ原発事故から時間が立つにつれ、世論が原発支持に変わっていくのを待つ判断だったのではないかと思われる節もある。
こうしてみると、いくら脱原発で政治的に確定しても、そこには不確定要素が残る。政治的な決定と法的な規定だけでは、脱原発が実現されないことも考えられる。
(2023年7月11日) |