新型コロナ対策は憲法違反か

 新型コロナ対策で、基本的な権利が侵害されたと思っている人も多いと思います。憲法は、移動の自由や活動の自由、集会の自由を保証しているからです。でも憲法はそれに対して、生きる権利も保証しています。

 それでは、どの権利が優先されるのでしょうか。

 憲法は基本的人権において、どの権利が優先されるべきかまったく規定していません。それぞれの権利が保証されるといっているだけです。

 これは、どういうことを意味するのでしょうか。

 それは、その場その場の状況に応じて、それぞれの権利が保護されるようにバランスを取ることが求められるということです。

 たとえば新型コロナでは、感染者が増加して医療崩壊する危険がある場合、生きる権利を優先します。その時に、他の権利が制限されても憲法上問題ありません。つまり、感染を防止するために、外出を制限しても憲法違反にはならないと見ます。

 ただ、この状況が永続するわけではありません。医療崩壊の危機に面している場合に限り、一時的に制限されるということです。医療崩壊する危険がない場合、外出を制限することは憲法違反になると見るのが正当だと思います。

 ただここで、その場その場の状況に応じて基本的な権利のバランスをどう取るかが求められるので、新型コロナで外出を制限するのは憲法違反だと一般化することはできません。

 その点がよく誤解されているのではないかと思います。それは、新型コロナ対策は民主主義的ではないという批判にも当てはまります。

 この批判は、新型コロナの対策が議会の決議もなく、政治が独自に決定したことに対するものです。独裁的だとも非難されます。議会制民主主義が無視されているからです。

 ただこれも、新型コロナでは緊急を要するので、その場その場の状況に応じてバンランスを取って判断されなければならない問題です。

 ここでも一般化して、新型コロナ対策では議会制民主主義が無理されたと主張するにはちょっと無理があると思います。

 憲法違反や議会制民主主義の無視を批判する場合、それを裁判で訴える手段に出るのが法治国家ということです。単にSNSなどで無謀に批判を拡散するのは、民主主的ではありません。法治国家を無視した行為です。

 ここで注意しなければならないのは、法的に訴える場合も、法は個々の場合でしか判断しません。つまり、一般化はしないということです。それも法治国家の基盤であることを忘れてはなりません。

 新型コロナでは緊急を要したので、ケースバイケースで憲法違反や議会制民主主義を無視していた場合があるかもしれません。それは今後、個々のケース毎に司法の判断を仰ぐべきだと思います。

 司法判断では、憲法裁判に訴えるのが適した方法だと思います。ドイツでは、誰でも簡単に憲法裁判所に訴えることができます。ただ日本には憲法裁判所がないので、日本の司法制度ではその判断を仰ぐのが時間がかかるし、難しくなっていると思います。

 ぼくは以前から主張していますが、日本でも憲法裁判所が必要だと思います。

(2020年5月16日、まさお)

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