核兵器禁止条約を生活とどう結びつけるか
核兵器禁止条約(TPNW)が2021年1月22日発効しました。それとともに、核兵器の開発と保有、使用などが禁止されます。条約は、核兵器の禁止を政治的にモラルで訴えるものです。
条約には、核保有国が加盟していません。自国の安全保障を核の傘に依存する国々も加盟しません。日本は、世界で唯一の被曝国です。しかし米国の核抑止力に頼っているので、条約には加盟しません。NATO加盟国のドイツも、条約には加盟しません。
東西ドイツ統一をきっかけに冷戦が終結しました。それとともに、世界は連帯し、より平和になるのではないかとの期待がありました。その期待は、簡単に裏切られました。冷戦が終わっても、世界は平和にはなりませんでした。
むしろ、危険になっています。イスラエルや北朝鮮など、核兵器を保有する国が増えています。中国が新たに、世界の覇権を握ろうとしています。アフガニスタンやシリア、イエメンなど世界各地で、長い間戦争が続いています。
世界は今、ポピュリズムに左右され、独裁的な権力者が台頭しています。核兵器の使われる危険は、少なくなるどころか、より大きくなっています。この状況は、核兵器禁止条約が発効しても変わりません。
むしろ条約によって、核保有国と非核保有国の溝が深まることが心配されます。核兵器禁止条約への加盟を訴えれば訴えるほど、非加盟国が頑なになる危険があります。
核保有国の多くは、核不拡散条約(NPT)に加盟しています。核不拡散条約の第6条は、核軍縮を規定しています。それがこれまで、実行されてこなかったことが問題です。5年毎に開催される検討会議は昨年、コロナ禍で開催できませんでした。今年2021年に延期されています。その時、核兵器禁止条約締約国はどう反応するのか。それも注目したいと思います。
日本とドイツは、第二次大戦の加害国であり、敗戦国です。両国はこれまで、核問題において核保有国と非核保有国を外交的に橋渡しする役割を演じてきました。
核兵器禁止条約に加盟しない両国には、オブザーバーとして条約に関与すべきだとの声も強くなっています。ただ条約オブザーバーがどういう権利を持つことができるのかは、まだ決まっていません。それは、今後開催される締約国会議で決まることになっています。
両国がオブザーバーになるとしても、いずれ核兵器禁止条約に加盟することを前提にしないと、意味がないと思います。そうでないと、オブザーバーとして核兵器禁止条約締約国からは信用されません。逆に、加盟を前提にオブザーバーになれば、核保有国からは裏切り者扱いされる危険も大きいと思います。
ドイツと日本は、橋渡し役どころか、核兵器禁止条約の発効とともに立ち位置をよりはっきりしなければならなくなっています。
日本とドイツは安全保障において、集団的自衛を原則としています。日本の場合、その発端は日米安保条約でした。その後、2014年に憲法の解釈を変え、安倍政権が集団的自衛権を行使できるとしました。その基盤として、安保法制ができます。
ぼくはこの時、核兵器の問題をもっとしっかり議論するべきだったと思っています。集団的自衛権が行使できるようになると、核兵器の開発や保有、使用が可能になってしまうのではないか。日本では、この問題についてもっと批判的に議論されるべきでした。
ドイツの場合、(西ドイツが)NATO加盟国となる時、憲法に相当する基本法の24条において、ドイツが(NATOによる)集団的自衛に組み込まれ、主権さえも制限されることが規定されます。これが、ドイツ自身は単独で核兵器の開発と保有、使用はできないが、NATO加盟国としては法的に認められる基盤になっています。
ぼくは、この点が以前から気になっています。核兵器禁止条約に加盟するかどうかの問題も含め、集団的自衛における核兵器の問題について、何回かに渡ってドイツの国防相や外務省高官に直接質問したことがあります。
答えは、同じでした。
法的に認められていても、NATO加盟国であるドイツは、核兵器を開発、保有、使用することはないといわれました。NATO加盟国として、NATOの核の傘の下にあるので、核兵器禁止条約に加盟することはできないともいわれました。むしろNATO条約がある以上、TPNWに加盟するのは国際法上違反になるといいます。
ドイツは有事になっても、本当に核兵器を使用しないのか。ぼくは、たいへん疑問に思っています。
ドイツ国防空軍は現在、ヨーロッパで開発されたトルナド戦闘機の後継機として、米国製のF35戦闘機に切り替える計画です。ドイツ空軍の主要戦闘機は、ユーロファイターです。ユーロファイターはヨーロッパで開発され、核兵器を搭載できません。核兵器を搭載するには、改造される必要があります。F35が納入されると、ドイツ空軍は米国の核兵器を簡単に搭載できるようになります。
ドイツ南西部のブッヒェル基地に、米国の核兵器があります。米国の核兵器と米国のF35。それが揃えば、ドイツは核兵器を使えるようになります。
それを避けるには、ドイツの地から核兵器を撤廃させることです。ドイツはまず、それを実行すべきです。そのほうが、市民にはわかりやすいと思います。
米国のオバマ大統領は、核兵器の先制不使用を宣言することを考えていました。最初に核兵器を使わないことを一方的に宣言し、他の核保有国にもそれを促すという戦略でした。
それに反対したのは、日本でした。日本は、米国が先制不使用宣言をすると、核抑止力が失われ、日本の安全保障が保証されなくなることを恐れたといわれます。
米国は今、バイデン新大統領の時代に入りました。バイデン大統領は、オバマ大統領の下で副大統領でした。当時の米国政府の核戦略協議にも参加していたものと見られます。そのバイデン大統領の今後のアジェンダに、核兵器の先制不使用宣言問題が入っているともいわれます。
それが可能となるには、日本など米国の核抑止力に依存している国々が、核の傘というドクトリンから頭を切り替えなければなりません。米国が先制不使用宣言した結果、日本政府が核武装を考えるようになっても意味がありません。
ぼくはまた、核抑止力の問題を従来兵器の使用と切り離して考えるべきではないとも思っています。広島と長崎に原爆が投下された後、核兵器は実際には使用されていません。でも核実験によって、世界は汚染されてきました。同時に、核兵器は使われなくても、従来兵器によってたくさんの市民が犠牲になってきました。
ぼくたちは、この現実から目を背けてはなりません。核兵器を禁止しても、非核兵器を使った代理戦争が世界各地で展開されると思います。ぼくたちが必要なのは、核兵器も非核兵器も使わない平和です。そのことを忘れてはなりません。
核兵器禁止条約は、政治的なコミットメントとしてはとても大切です。たくさんの市民から支持を得ると思います。でもそれは、実感のない、感情的なものではないでしょうか。
核兵器禁止条約自体は、市民の生活からは遠いものだと思います。市民は、その大切さを生活で実感できるでしょうか。核の問題、平和の問題を実際の生活とどう結びつけるのか。ぼくはむしろ、それが問われていると思います。
戦後75年を経て、戦争体験者は減るばかりです。今生きる世代のほとんどは、平和しか知りません。平和は当然のもの。平和の大切ささえも、実感できなくなっています。
自分の生活する空間で、戦争が起こってほしくない。核兵器も投下してほしくない。次の世代の自分のこどもや孫のためにも、平和が必要なのです。その大切さのほうが市民にとり、生活においてより実感できます。
平和な時代においても、平和の大切さを伝えていかなければなりません。それには、過去の戦争の歴史と原爆投下の歴史から学ぶしかありません。その過去を今の生活において、どう伝え、実感できるようにするのか。
ぼくはそれを、「小さなプロセス」とか「小さな平和」と呼んでいます。ぼくたち市民が家庭など、生活の底辺において平和について考える、学ぶプロセスです。そうして、平和の大切さを実感します。
核兵器禁止条約は政治的なプロセスです。「大きな平和」といってもいいと思います。でも小さなプロセスで生活において下から平和を求めることも考えないと、市民は大きなプロセスにはついていけません。
生活において平和を求めるのは、毎日の試みです。生活において、戦争の過去、原爆投下の過去を今に伝えることが求められます。地道なプロセスです。底辺での取り組みもなくてはならないことを忘れてはなりません。
(2021年1月23日、まさお)
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関連サイト:
核兵器禁止条約の条文(英文と仮日本語訳を外務省のサイトからダウンロードする)
核兵器禁止条約の全文(中国新聞、ヒロシマ平和メディアセンター)
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