どうした日本のワクチン開発?
ワクチン開発から見えること
新型コロナによるパンデミックが世界中に広がっています。それに対するパクチンもすでにいくつか承認され、ワクチンの接種がはじまりました。
最初に承認されたワクチンは、独BioNTech(バイオンテック)社と米Pfizer(ファイザー)によって共同開発されました。ここで共同開発とは、バイオンテックの開発したワクチンが、ファイザーによって大規模集団による第III相試験が行われ、大量生産されるということです。
このワクチンの特徴は、mRNAを使って体内で抗体を生成させるというまったく新しい技術を使っていることです。詳しいことはいろいろ情報が出ているので、ここではこれ以上詳しく触れません。
すでにいくつかの地域で承認された米モデルナ(Moderna)社のワクチンも、mRNAをベースにした新しいワクチンです。さらにもう一つ、mRNAベースのワクチンがまもなく第III相試験を終え、認可が申請されます。
このワクチンは、独キュレイヴァック(CureVac)社が開発し、ドイツ製薬大手バイエル(Bayer)社によって大量生産されます。キュレイヴァック社は、mRNA技術のパイオニアです。同社CEOのイグマール・ヘェルさんは、博士論文でmRNAワクチンをテーマにし、1999年に最初の特許を取得しました。ヘェルさんは、mRNAをワクチンに使うことを偶然思いつきました。同社のワクチンについては、米国トランプ前大統領が昨年2020年春に米国での専属使用を求めて交渉したことでも知られています。
ヘェルさんは、誰でもどこでも使えるワクチンの開発を目指しています。トランプ大統領の申し入れは断りました。零下70度で保管しなければならないバイオンテックのワクチンと異なり、もっと安く、できるだけ常温に近い低い温度で保管できるワクチンにしたいということです。ヘェルさんはワクチン接種では、途上国のことを忘れてはならないといいます。
新しいmRNAワクチンが、ドイツにおいて2つのバイオテクノロジー・ベンチャー企業によって開発されました。
ぼくが探りたいのは、その背景です。なぜドイツでそれが可能になり、日本ではワクチンがまだできないのかということです。ドイツは伝統的に、製薬国だからといってしまえばそれまでです。
ぼくにはその違いが、1990年後半の技術革新の支援策にあったように思えてなりません。
当時ドイツでは、スタートアップとよばれる若くて技術力のあるベンチャー企業を育てるため、テクノロジーセンターと呼ばれるインフラを各地に整備しました。大学や研究所の研究開発成果を応用して、それを製品化するため、若い研究者が起業しやすい環境を造りました。当時、技術革新のターゲットの一つがバイオテクノロジーでした。
テクノロジーセンターは、大学や研究所での基礎研究、応用研究で得られた知見をできるだけ早く製品化するため、若い研究者に安くて、設備の整ったインフラを提供します。
バイオンテックのCEOウール・シャーヒンさんも、キュレイヴァックのヘェルさんも、そういう環境から出てきた人材だと思いまます。シャーヒンさんは医師で、がん治療の専門家。mRNAを使ってがん患者に合わせた薬をつくります。マインツ大学で教授も務めています。ヘェルさんはテュービンゲン大学で生物学を専攻し、当時の担当教授がキュレイヴァックに共同出資しています。
ぼくは当時1990年後半から、ドイツのテクノロジーセンターについていろいろ取材していました。その時、日本からたくさんのミッションが視察にきていたのも知っています。日本は当時、ドイツ式のテクノロジーセンターを日本でも積極的に取り入れようとしていました。
ある意味でドイツも日本も、1990年代後半にはほとんど同じスタートラインにいたといっていいと思います。でもなぜ、ドイツからは新しい技術が生まれ、日本からは出てこないのでしょうか。
その答えは、取材して数年後に出ました。日本ではテクノロジーセンターが各地にできたものの、東京の大田区などを除くと、ほとんどがベンチャー企業を育成できずに終わったといいます。経産省の官吏から、テクノロジーセンターが県庁役人の天下り先になってしまい、ベンチャー企業育成のノウハウがなかったからそうなってしまったと聞きました。
この点は、ドイツで取材してもはっきりといわれた点です。いくらテクノロジーセンターという箱を造っても、企業育成のプロ(インキュベーター)も育成しないと意味がないといわれました。日本ではその通りに、失敗する結果になりました。
もう一つの日本の問題は、日本の縦割り社会です。経済界には系列があります。大企業毎に系列ができ、ベンチャー企業がいかに最新技術を持っていてもその中でしか生き残れません。新しい技術を開発しても、大手にとられるだけとも聞きました。それでは、新しい技術を開発する意欲もわきません。
ベンチャー企業が技術を持っておれば、大手と対等に扱われるドイツとは大違いです。日本では、出た芽がつぶされます。
ベンチャー企業を育成するには、お金がかかり、忍耐も必要です。前述のヘェルさんは資金調達するため、当初ベンチャーキャピタルのセミナーにおいて何回もmRNA技術についてプレゼンテーションしました。でも、まったく相手にされなかったといいます。
そのヘェルさんに資金を提供したのは、ドイツのソフトウェア大手SAPの創立者ホップさんであり、マイクロソフトのゲイツさん、テスラのマスクさんでした。これら技術のパイオニアには、先見の目があったということです。
ヘェルさんは今、テスラとともに患者に合わせて適切な薬を製薬するmRNAプリンターを開発しています。これができると、薬は薬局で患者毎につくり、製薬工場は必なくなるといいます。
ぼくはこの現実を見るにつけ、1990年代後半の日本の努力は何だったのかと考え込まされます。ドイツのテクノロジーセンターを視察にきても、表面だけしか見ていなかったのだと思います。その哲学と育成方法までは学ばなかった。
それはある意味で、日本の伝統でもあると思います。日本は原子力で発電することは学んでも、安全の哲学までは学んでいませんでした。それが、福一原発事故を引き起こします。
ぼくの心配は、再エネです。日本では今、ドイツが再エネを拡大させたことに注目が集まっています。ただドイツから再エネを拡大することだけを学んでも失敗すると思います。再エネでは、地元の条件に合わせて適切な方法を考えることがとても大切だからです。そこまで深く突っ込んで、ドイツから学んでほしいと思います。
何回も同じ失敗を繰り返してほしくありません。
(2021年2月12日、まさお)
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関連サイト:
バイオンテック(BioNTech)
キュレイヴァック(CureVac)
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