極右化抗議デモと「沈黙する過半数」

 ドイツの調査報道団体が、ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の政治家や極右活動家、極右派を支持する企業家などが、ベルリン郊外のポツダムにおいて、移民や難民をドイツから大追放することについて話し合っていたと暴露しました。

 その後ドイツ全土で、極右化に抗議するデモが起こっています。この週末2024年1月20日、21日の2日だけでも、警察発表でドイツ全体において100万人近くがデモに参加しました。

 デモを呼びかけたのは、ドイツ市民活動をネットワーク化してまとめるCampactという市民団体。各地では、地元の反極右市民団体を中心にデモが組織されます。反極右デモはこれからも、各地でまだまだ続きます。

 右傾化は、ドイツだけの問題ではありません。ヨーロッパではすでに、イタリアやフィンランドで極右政党が政権政党になっています。昨年秋のオランダ国政選挙では、極右政党自由党が第一党になりました。オーストリアでも今年2024年秋の国政選挙で、極右政党自由党が第一党になる勢です。

 ドイツの極右化は他のヨーロッパ諸国に比べて、遅れていたといわなければなりません。しかしドイツでも今、極右政党AfDは世論調査において第二党にのし上がってきました。ドイツでは今年6月に欧州議会選挙があるほか、秋にはドイツ東部の3つの州で州議会選挙があります。現在の世論調査では、AfDはその3つの州で得票率30%を超え、第一党になる可能性が高くなっています。

 こうした社会の極右化の状況を考えると、これだけたくさんの市民が、極右化に反対してデモに出るのはたのもしいといわなければなりません。さすが、ドイツといいたくなります。

ベルリン中央駅は、極右化に抗議するデモ集会のある連邦議会議事堂前にいく市民でいっぱいだった

 しかしぼくには、この社会現象がちょっと不安です。

 見方によっては、ナチス・ドイツの過去から学び、右傾化に市民が「ノー」といっているとも解釈できます。しかしぼくには、それが過去からのトラウマに駆り出された突発的なもので、極右化の問題を真剣に捉えているのかなあと不安になります。

 ドイツの市民、特に中道と見られる市民はここのところ、社会の問題やドイツの政治に沈黙を続けていました。ドイツではそれを、「沈黙する過半数」といわれたりしています。そのため今回のデモでは、「沈黙する過半数」がようやく動いたという見方もあります。

 ぼくには、この「沈黙する過半数」が不安なのです。ドイツ社会には、保守から極右層と見られる市民が最低30%いると見られます。それは多分、世界のどこを見ても概ねそうだと思います。だからこそ、中道層が社会の変化に敏感になって、社会の極右化を警戒して、それに反対する声をあげてくるべきだったのです。

 しかし社会の過半数はこれまで、それに沈黙して眠ったふりをしてきました。

 保守から極右層を動かしているのは、ポピュリズムです。社会の問題は一段と複雑になり、一般市民には理解しにくくなっています。そこに、社会の問題を単純化して説明し、社会に不満を抱く市民の関心をひきつけようとしているのが、ポピュリズムです。

 ポピュリズムは極右だけではなく、ドイツでは今、政権交代で野党に回った保守・中道政党ばかりか、メディアの世界にも広がっていきます。AfDに刺激されて抵抗するため、そうなってきたともいえます。しかしそれはむしろ逆効果で、AfDをより有名にして活性化させる結果にもなっています。

 眠っていた「沈黙する過半数」の目を覚させたのも、単なるポピュリズムではないのか。ぼくには、それが不安なのです。

 今回のデモは、一つの暴露記事によって動かされました。それとともに「デモに出よう」とアピールされ、たくさんの市民がこれはいかんとデモに出ました。それは、咄嗟なものでした。たくさんの『同志』と一緒に連帯感を持って、ドイツ社会と民主主義のためだと思ってデモに出るのは気持ちがいいものです。満足感も抱きます。

 でも、それは本当に社会のためなのでしょうか。単に自分のためではないのか。ぼくには、それが気になります。

 デモに出ることは、大賛成です。でもそれで、満足していていいのでしょうか。デモの後、その満足感は何をもたらすのでしょうか。満足感を抱くことで満足していてはなりません。

 これだけたくさんの人が極右化に反対してデモに出たのは、極右化に対して「ノー」と強い意思教示をしたことになります。しかしそれで、極右化は縮小するでしょうか。極右政党AfDへの支持は減らないと思います。それどころか、支持がさらに上がる可能性さえもあります。

 それに、どう対抗すべきなのか。

 これから選挙でAfDが台頭するごとに、市民は毎回デモに出ていけるでしょうか。あるいは自分の生活において、右翼や極右の思想に親近感を持つ友人や知人とさえも、社会の極右化を警告して議論できるでしょうか。「沈黙する過半数」には、みんなで連帯して声をあげるばかりでなく、自分の身の回りにおいて1人ででも大きく声をあげることが今、求められています。

 自分の身の回りで起こっていることに、黙っているべきではありません。1人であっても沈黙せずに、いつも声を上げなければなりません。そういう市民が増えれば、それだけ社会に強い力が生まれます。それには、満足感からさらに、勇気と強い根気を落ち続けることが求められます。

 自分の生活に満足感を抱いて、抵抗することを忘れてしまった「沈黙する過半数」。ドイツの「沈黙する過半数」はこれから、どう動くのでしょうか。満足感から一歩踏み出し、先に進むことはできるでしょうか。
 
(2024年1月22日、まさお)

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関連サイト:
反極右デモ情報サイト(ドイツ語)

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