福島県石川町でウランを含む鉱石を採掘する

終戦を巡る原爆の謎

 前回、終戦前の1945年4月にドイツの潜水艦U234号によって、ドイツから日本にイエローケーキ(酸化ウラン)を運搬しようとしたことを中心にして、原爆開発を巡る日独の協力関係をまとめて中間報告しました。

 そこでは日本が、日本の福島県石川町でウランを含む鉱石を採掘していたことも書きました。今回はそれについて、詳しく書いておきたいと思います。

 まず日本でのウラン採掘というと、すぐに鳥取県と岡山県にまたがる人形峠のことを思い出す人が多いと思います。ただ人形峠でウラン鉱石床が見つかったのは、戦後の1955年でした。

 これは、日本が原子力発電を行うため、全国でウラン鉱石床を探しはじめ、それによって見つかったのでした。ですから戦中はまだ、人形峠にウラン鉱石があることは知られていませんでした。

 福島県石川町周辺には、花崗岩ペグマタイト(巨晶花崗岩)が分布し、たくさんの鉱物(希元素鉱物)が見られます。明治時代から石英・長石を含むペグマタイトが盛んに採掘されていました。

 その中に、ウランも含まれていました。

 それに目をつけたのが、日本で原爆開発を進めていた陸軍航空本部でした。日本で原爆を開発するには、ウランが必要です。すでに書いたように、ドイツから酸化ウラン(イエローケーキ)を調達することが確定したのは、1944年春でした。ドイツの協力を得て、陸軍の調達会社昭和通商が発注しました。

 発注した酸化ウランは同年6月、納入されました。それをさらに日本に輸送しなければなりません。それが実現するのは、ほぼ1年後の1945年4月になってからでした。酸化ウランを搭載したドイツの潜水艦がキール港を出航します。しかしドイツが降伏したことで、ドイツの潜水艦で輸送中だった酸化ウランは、米国海軍によって押収されてしまいます。

 日本陸軍はドイツからばかりでなく、日本や朝鮮半島などでもウランを採掘することを計画していました。その一環で日本で採掘の対象になったのは、ペグマタイトのある福島県石川町でした。そのため、原爆開発二号研究を行なっていた理化学研究所から、希元素の開発に尽くし、日本に放射化学を導入した飯盛安博士が1945年4月に石川町に疎開します。

大内採石場集合写真、1945年5月15日、福島県石川町立歴史民俗資料館提供

 石川町で採掘がはじまるのは、1945年4月になってから。採石作業には、地元の15歳の中学生が動員されました。

 石川町周辺で採掘されるペグマタイトのこと、終戦前のウラン採掘のことは、石川町立歴史民俗資料館に詳しく記録されています。資料館に保管されているウラン鉱石を手のひらの上に載せて線量を測ると、まだ20マイクロシーベルト‏/時もありました。

採石場は現在、こうなっている

 資料館には当時の採石現場の写真がいくつもあり、採石現場はかなり大きいなあと感じていました。しかし実際にその現場にいってみると、ぼくは採石現場が日本軍部は終戦間際、福島県石川町でウラン鉱石を採掘させている。すべて手作業の上、採石現場も小さい。原爆開発に必要なウランを得るためだった。サイパン島の米軍飛行場に原爆を投下して、本土決戦にならなようにする思惑だったともいわれる。しかし石川町で得られるウランはごく微量。原爆開発に足りたとは思えない。小さいのに驚き、「冗談ではないか」と思いました。

 こんな小さなエリアでウランを含む鉱石を採掘して、いったいどれだけのウランを回収できるのでしょうか。その上採石作業は、手作業で行われていました。

 ウランには、核分裂に必要なウラン235は0.7%しか含まれていません。ウランは濃縮して、ウラン235の濃度を上げなければなりません。これでは原爆の製造どころか、濃縮ウランのごくわずかな試料を得る程度にしかなりません。

 こんな環境でなぜ、石川町でウラン鉱石を採掘しようとしたのでしょうか。

 資料館で研究員のような立場にある橋本悦雄さんによると、「(日本軍は)藁をも掴む気持ちだったのではないでしょうか」という。

 元陸軍技術少佐として日本の原爆開発に関わっていた山本洋一元日本大学教授は、日本軍部は開発する原爆は1発でよく、それをサイパン島の米軍飛行場に投下して、敗戦に向けて本土決戦を避ける算段だったと主張されています。

 日本軍部には、日本が原爆を保有していることを誇示し、天皇制を維持するために敗戦交渉を優位に進める思惑もあったかもしれません。

 そうはいっても石川町の現場を見ると、日本軍部の考えが現実性のない夢のようだったことがわかります。

(つづく)
 
(2024年9月19日、まさお)

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関連サイト:
福島県石川町立歴史民俗資料館
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