ドイツの潜水艦は代役だった

終戦を巡る原爆の謎

 第二次世界大戦中、日本とドイツの間には遣独潜水艦作戦というのがありました。これは潜水艦によって、日独が軍事物資や新兵器、部品、図面のほか、武官や技官、民間技術者などの両国の人材を輸送する作戦でした。

 日本は1941年、相互不可侵を規定する日ソ中立条約を締結します。しかし同年6月に独ソが開戦したことから、シベリア鉄道を利用した陸路が使えなくなります。さらに日本が太平洋を中心に英米蘭などと開戦したことで、海上船舶を利用するリスクも大きくなりました。

 ドイツはそこで、潜水艦による物資の輸送を提案します。ドイツは、生ゴムや錫、モリブデンなど軍用機に使う原材料を手に入れる目的でした。それに対して日本は、ドイツから新しい軍事技術とその情報を入手したかったのです。

 ルートは主に、日本ーマラッカ海峡ーインド洋ーマダガスカル沖ー喜望峰ー東部大西洋ー大西洋沿いのドイツが占領する潜水艦基地でした。しかし日独が航海海域をすべて制圧していたわけではありません。戦況によって、ルートや入港先が変わっていきました。日独は次第に、制海権を失っていきます。決して安全な作戦ではありませんでした。

 日本は全体で5回、潜水艦による遣独作戦を実行しています。しかし往復に成功したのは、最初の2回だけでした。ただ最初の作戦では、帰路に日本占領下の港に入港する時に味方の機雷に接触。沈没しています。後の3回は、航海中に撃沈されました。

2回目の第二次遣独潜水艦だった伊号第八潜水艦 (N. Polmar, D. Carpenter. Submarines of the Imperial Japanese Navy 1904—1945. — Conway Maritime Press, 1986)

 ドイツからは1943年から3回、遣日作戦が展開されています。その3回目が、これまで取り上げてきたU234号によるものです。ドイツからの作戦も、成功したのは最初の1回目だけでした。

 日本から最後の遣独作戦は、伊号第五十二潜水艦(伊52潜)による作戦でした。伊52潜は1944年3月10日、呉港からフランスのロリアンに向けて出港します。途中シンガポール港で、ドイツに技術供与の対価として提供する錫やモリブデンなどを搭載。5月20日頃に大西洋に入り、6月4日に赤道を超えて北上していたと見られます。

 その後、ドイツの潜水艦と落ち合って逆探知機を受け取りました。しかし6月24日未明、米海軍によって撃沈されてしまいます。7月30日に謎の到着信号の発信があったころから、フランスのロリアン港では受け入れ態勢がしかれていました。しかし、伊52潜は入港しません。

 英軍の暗号解読チームULTRAが解読したところによると、1944年夏、800キログラムの酸化ウランが伊52潜の入港するロリアン港にあったとされています。ドイツの潜水艦U234号に搭載されていたイエローケーキが昭和通商会社によって発注され、納入された時期は、ちょうどその時期にマッチします。ドイツにいた日本軍の武官が東京に伊52潜の行方不明を報告したのは、8月9日。ドイツはその後の9に入り、輸送船に変えるためにU234号の改造を開始します。。

 これらの経緯を見ると、ドイツの潜水艦U234号に搭載されていたイエローケーキは元来、日本の伊52潜によって日本に輸送する予定だったのではないか。しかしその作戦が失敗したことから、ドイツの潜水艦によって日本へ輸送にすることに切り替えたのではないかと見られます。(つづく)
 
(2021年8月27日、まさお)

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