さよなら減思力

日本行きの酸化ウランは高純度のイエローケーキだった

終戦を巡る原爆の謎

 日本に向かう途中、米国に投降したドイツの潜水艦U234号に載っていた酸化ウランは、560キログラム。酸化ウランといえば、イエローケーキかと思う方も多いと思います。でも、必ずしもそうではありません。加工する温度によって、黄色ではなく、オレンジや緑、茶色のものもあります。U234号で見つかった酸化ウランは、一体何だったのでしょうか。それをまず先に、明らかにしてしまいます。

 その酸化ウランは、純度80%から82%の八酸化三ウランでした。色は黄色。純度の高いイエローケーキだったのです。

 発注したのは、昭和通商会社ベルリン支店。1944年3月26日、ベルリンにある材料販売会社ローゲス(ROGES)に1000キログラム発注されていました。それがなぜ、U234号に搭載されていたとわかるのでしょうか。潜水艦に載っていたのは、560キログラムです。

ローゲスの酸化ウランの請求書。カーゴ番号が1270/1-20と書かれている(ドイツ公文書館の資料から)

 昭和通商会社は発注書で、イエローケーキを直径54センチメートル以下の木の樽に入れるよう指示していました。ローゲスは納入後に送付された請求書において、木の樽20個に1270/1から20のカーゴ(貨物)番号を記したと報告しています。そしてU234の押収リストから、酸化ウランの積み荷に1270/1から10のカーゴ(貨物)番号が付されていたことがわかります。

ドイツの潜水艦U234からの押収リスト。カーゴ番号が270/1-10となっている

 これで、ドイツの潜水艦U234号に載っていた酸化ウラン560キログラムが昭和通商会社が発注していた一部だったことが立証されます。

昭和通商会社ベルリン支店のあったベルリンのギーゼブレヒト通り14番地の現在

 昭和通商会社は、軍需品を調達する国策会社でした。大日本帝国陸軍が主導して、設立されています。ドイツなどから軍事技術と軍事用資材を調達していました。昭和通商会社ベルリン支店は、ベルリン西部のギーゼブレヒト14番地にありました。しかしソ連赤軍がベルリンに侵攻するのを恐れ、イエローケーキが潜水艦で搬送される時は、ドイツ南東部のリュッベンに避難していたと見られます。

 イエローケーキは発注して3カ月後の1944年6月、20個の木樽に入れて、東プロイセン(現ポーランド領)南西のビリングドルフにある資材管理部クリスチアンシュタット集荷場に納入されています。

 納入先は、ベルリンから直線で南東に150キロメートルも離れたところにありました。なぜ、そんな田舎の小さな村に酸化ウランが運ばれたのか。さらにそこから、潜水艦が出港したドイツ北西部のキール港まで、どのように輸送されたのかも謎です。わかっていません。

 この辺のことは、ぼくの電子書籍『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』に、もっと詳しく書いています。関心のある方は、のぞいてみてください(以下に、リンクあり)。(つづく)
 
(2021年7月12日、まさお)

関連記事:
日本行きのドイツ潜水艦には酸化ウランがあった
終戦直前日本に向かったドイツの潜水艦
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(書籍案内)

関連サイト:
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(電子書籍、立ち読みできます)

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.