歴史修正主義にどう対応する
歴史は、すべてが事実だと思われがちです。歴史においては、真実を伝えるのが正当だとも思われています。
でも、現実はそうではありません。
歴史を自分の都合のいいように書き換えようという試みが、いつもあります。特に社会が右傾化すると、その傾向が強くなります。
歴史を書き換えようというのが、歴史修正主義といわれるものです。ここでは、自分のイデオロギーにとって都合の悪いことは、過小評価されたり、抹消されようとします。
その具体的な例として、たとえばホロコーストの否認を挙げることができます。日本では、南京事件や従軍慰安婦の問題がその事例になります。
歴史というのは、その時点での解釈です。新しい史料が出てくると、それに基づいて新しく再解釈されます。そこでは、できるだけ客観的に事実が追求されなければなりません。でもその事実を無視するのが、歴史修正主義の真髄です。
歴史修正主義者にとって、それが事実であるかどうかはどうでもいいことなのです。過去の出来事を自分の主張、イデオロギーに合わせたい。それだけのことなのです。
だからといって、それを無視するわけにはいきません。歴史修正主義というのは啓蒙的で、修正された歴史を広く公衆に広げようとします。その結果、過去の暗い事実が公衆から忘れ去られてはなりません。
過去の過ちは、二度と繰り返したくない。そのためには、過去の過ちから学ぶ必要があります。
でも歴史修正主義によって過去の過ちが抹消されると、それができません。それが問題なのです。
過去の過ちを二度と繰り返さないためには、社会として過去の過ちを過ちとして認めることが必要です。それができないのが、歴史修正主義者の根本的な問題だと思います。
でも、事実はどうでもいいとする連中にどう対応するべきなのか。
これは、難しい問題です。事実で反論しても意味がありません。
でもそれは、歴史において事実を追求する必要がないといっているわけではありません。いつの時代も、歴史をできだけ客観的に伝えていくのが大前提です。それは、同時代人に課せられた責任であり、義務でもあります。
ぼくは、歴史修正主義に対抗するにはこうしてはどうかと思っています。
市民一人一人が、歴史の問題について自分の身近にいる家族や友人たちと一緒に、歴史の事実について話し合っていくべきだと思います。そうした地道な活動で、歴史修正主義に影響されない市民を一人でも多く増やしていきます。
それを、たくさんの市民が一人一人行えば、とても大きな活動になります。
ぼくは、これをマイクロプロセスと呼んでいます。マイクロプロセスに対するのは、マクロプロセスです。
マクロプロセスでは、歴史修正主義を批判するばかりで、往々にして地道な活動が抜けてしまうことがあります。
歴史修正主義を批判しなくても、自分自身が歴史修正主義に影響されないようにします。さらに、家族や友人と議論して、歴史修正主義に惑わされない人の輪を少しでも大きくします。
歴史は、周辺国とも大きく関わっています。だから、歴史にできるだけ客観性を持たせるには、関わりのある周辺国の視点も取り入れ、共同で歴史を記述することも必要だと思います。
(2020年1月03日、まさお)
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関連サイト:ドイツ政治教育センターのサイト(ドイツ語)