デジタル化についていけない
スマートフォンやタブレットパソコンなどの登場で、便利になったのはいうまでもない。スマートフォンでマップを見ながら歩けば、簡単に目的地につくことができるる。公共交通で目的地にどういけばいいかも、ルートをすぐに検索できる。メールも移動中に閲覧でき、必要に応じて返信もできる。
デジタル化の効用は、挙げてもきりがない。
でも、スマートフォンやタブレットパソコンで提供されるサービスをどの程度使いこなせているのかとなると、自信がない。もちろん、使えるものだけを使えばいいのだが。
でも前回指摘したように、デジタル化によって知らない間に監視されていることも忘れてはならない。それに気づかないまま、いろいろなアプリを使っていないだろうか。
この問題も把握して使わないと、デジタル機能を使いこなしていることにはならないと思う。
デジタル化の一つの問題は、スマートフォンやタブレットパソコンを持てる金銭的な余裕があるかどうかだ。デジタル化された社会では、デジタル機器がないとデジタル機能を使うことができない。デジタル機器を持てるかどうかで、たいへん大きな格差が生まれる。
工業国では、デジタル機器を購入して使いこなせるかどうかで、その人の能力とキャリアまで決まってしまう。この問題に対しては、誰にでもデジタル機器を使えるようにするための教育がしっかりと整備されなければならない。その教育は、誰にでも平等に施さなければならない。
発展途上国では、特にこどもたちが高価なデジタル機器を持つことができない。それでは、こどもたちをすべて平等に扱っていることにはならない。こどもがこの世に生まれてきても、こどもの将来に格差ができることを事前にプログラミングしてしまっているのと同じだ。
この問題を解決するため、工業国が安価でも、十分な機能を備えるデジタル機器を開発して発展途上国に提供することが必要になる。
もう一つの問題は、デジタル機器があってもそれを使えるかどうかだ。デジタル機器の操作は、ユーザーにやさしいとはいえない。特に、高齢者のことまで考えて操作をやさしくしているものはない。このままでは、デジタル化で高齢者を見捨てることになりかねない。キャッシュレス化進めば、店頭でもオンラインでも買い物のできない高齢者が増える心配がある。
個人それぞれには、能力の差がある。それを配慮して誰にでも使えるデジタル化を考えなければならない。そのためには、すでに述べたように、誰にでも平等にデジタル化に向けた教育を施す必要がある。
そうしないと、デジタル化で格差が拡大し、社会問題に発展する危険がある。
社会は、新しい技術に堪能な人や、新しい技術にアレルギーのない若者たちだけで成り立っているわけではない。デジタル化においては、誰もがデジタル機能を使えるようになることに配慮しないと、デジタル化についていけない人たちが落ちこぼれ、社会が分断される可能性がある。
(2019年12月26日、まさお)
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